京都府保険医協会理事会 2002年12月3日(火)
原発廃止に向けて
京都大学原子炉実験所 小出 裕章
T.生命体に対する被曝の危険性
JCO事故の教訓
1999年9月30日、原子力の町といわれた茨城県東海村の核燃料加工工場で、原子力関係者の誰一人として予想しなかった事故が起こりました。工場にあった一つの容器の中で、突然ウランが核分裂の連鎖反応を始めたのでした。作業に従事していた3人の労働者は大量の放射線を浴び、最大の被曝を受けた労働者はその場で昏倒しました。数分後に到着した救急隊が彼らを現場から運び出しましたが、ウランの核分裂自身はその後20時間にわたって続きました。
被曝の単位であるグレイは物体が吸収したエネルギー量で測られ、1kg当たり1J (0.24cal)のエネルギーを吸収した時の被曝量が1グレイです。人体の組成はほぼ水で、1グレイの被曝を受けた時に人体が吸収するエネルギーは、人間の体温を約1万分の2℃しか上昇させません。従来の医学的な知見によると、およそ4グレイの被曝を受けると半数の人が死に、8グレイの被曝をすれば、絶望と考えられていました。3人の労働者の被曝量は、それぞれ18、12、3グレイ当量(グレイ当量は、急性障害に関する中性子の危険度をγ線に比べて1.7倍として補正した被曝量)と評価されました。当然、2人の労働者は助からないと私は思いましたし、おそらくは造血系と消化器系の破壊によって2週間以内には亡くなるだろうと予想しました。事故直後に3人の労働者は、まず国立茨城病院に送られましたが、そこでは手に負えず、被曝の専門病院である放射線医学総合研究所に送られました。しかし、単なる被曝治療(被曝の治療は実質的には感染予防と水分、栄養補給くらいしかない・・・)だけではとうてい助けられないため、2人の労働者は東大病院に送られました。その後、感染防止や水分・栄養補給はもちろん、骨髄移植、皮膚移植、輸液、輸血などありとあらゆる手段が施され、患者は私の予想を遙かに超えて延命しました。しかし、最大の被曝を受けた労働者(大内さん)は12月に、2番目の被曝を受けた篠原さんもついに4月になって帰らぬ人となりました。
生命体に対する放射線の著しい攻撃性
彼らが受けたエネルギーは、彼らの体温を1000分の2〜4℃上昇させただけのものでしかありませんでした。それでも、彼らは造血組織を破壊され、全身に火傷を負い、皮膚の再生能力も奪われました。そして、「天文学的な」鎮痛剤と、毎日10リッターを超える輸血や輸液を受けながら、苦しい闘病生活を送った末に死に至ったのでした。
生命体のDNAを含め、すべての物質は原子によって構成されていますが、原子が集まって分子となる場合の結合エネルギーは、eVのオーダーでしかありません。ところが、放射線のエネルギーは数十keV(万eV)〜数MeV(数百万eV)に達します。生命体が放射線に被曝した場合には、DNAを含め多数の分子の結合が破壊され、破壊の程度が激しければ、その細胞や組織は生き延びることができないし、破壊の程度が低ければ、DNAに傷を負ったままの細胞が生き延び、やがて癌などを引き起こすことになります。こうして、放射線は生命体が依拠している物質とはかけ離れたエネルギーを持っているために、生命体に対して著しい危険を及ぼします。
U.原子力は必要悪か?
「いまや、原発の電気は3割にも達してしまっていて、原子力から抜け出ることはできない」との考え方があります。たしかに日本では現在、電力の30%を超える部分が原子力で供給されています。そのため、ほとんどの日本人は原子力を廃止すれば電力不足になると思わされています。また、今後も必要悪として受け入れざるを得ないと思っている人も沢山います。そして、原子力利用に反対すると「それなら電気を使うな」といわれます。
しかし、発電所の設備量で見ると、原子力は全体の18%しかありません。その原子力が発電量では3割を超えているのは、原子力発電所の稼働率だけを上げ、火力発電所のほとんどを停止させているためです。原子力発電が生み出したという電力をすべて火力発電でまかなったとしても、なお火力発電所の設備利用率は7割にも達しません。それほど日本では発電所は余ってしまっていて、年間の平均設備利用率は5割にもなりません。つまり、発電所の半分以上を停止させねばならないほど余っています。ただ、電気は貯めておけないので、一番たくさん使うときにあわせて発電設備を準備しておく必要があります。それでも、冊子12頁の図3に示したように、最大電力需要量が火力・水力発電の合計でまかなえなかったことは実際にはほとんどありません。結局、多くの人々の恐れ、あるいは刷り込まれてしまった誤解・錯覚に反して、原子力を即刻廃止したところで、何の支障も生じません。そうであれば、現実の生活が崩壊することを恐れるのではなく、原子力を選択することの利害得失を冷静に論理的に考えることこそ必要なことです。
V.原子力についての誤解
「化石燃料はいずれ枯渇してしまうので、原子力は人類にとって不可欠のエネルギー源だ」との考え方があります。
私は原子力を専攻しています。なぜ私がそうなったかといえば、「今日のように厖大なエネルギーを消費しているとやがて石油や石炭などの化石燃料はなくなくなってしまい、『豊かな』生活を維持できなくなってしまう。そうなっては困るけれど、人類には原爆が示したように原子力という強大なエネルギー源がある」と考えたからでした。今日でも多くの人がそう考えているようですが、それは正しい認識でしょうか?
石油があと何年でなくなってしまうかを評価した値を「石油の可採年数推定値」と呼びます。その値は、評価する時点での確認埋蔵量(技術的・経済的に採掘ができる量)をその年における年間消費量で割った値です。その値が歴史的にどのように変わってきたかを右下の図に示します。
たとえば、1930年における石油可採年数推定値は18年でした。石油権益を確保しておくことが列強諸国の条件である時代に、この値は著しく短いものでした。そして、このことは長く辛い戦争の動機となり、日本は大陸の資源を求めて中国に侵略を始めました。しかし、この時点での石油可採年数推定値が正しいものであったとすれば、10年後には石油は後8年分しか残っていないはずです。ところが10年たった後の1940年には、石油可採年数推定値は逆に23年に延びました。それでも、23年で石油がなくなってしまうという推定は列強諸国を石油権益確保に動かし、ABCD(America, Britain, China, Dutch)包囲網によって石油禁輸制裁を受けた日本は、太平洋戦争へとのめり込んでいきました。
しかし長い戦争が終わり、1950年になっても石油可採年数推定値は依然として20年でした。この時点で、石油可採年数推定値なるものがおよそ「科学」的なものではなく、世界的あるいは個別国家的な利害が絡みながら、あるいは技術の進歩によってもどんどんと変わっていくものであることに気づくべきでした。さらに10年後の1960年には、石油可採年数推定値は35年となりました。日本が高度成長と呼ばれた未曽有の経済成長を遂げた頃、石油は後30年でなくなると脅かされ続けましたが、なんと30年たった1990年の推定値は逆に45年に増えています。
冗談半分に言えば、石油が後20年でなくなるといわれた時代が20年続き、30年でなくなるといわれた時代が30年続きました。いま石油は後50年といわれる時代に入っており、その時代が50年続くと思います。そして50年後には、石油はあと100年あるという時代になるのではないでしょうか?
仮にこの冗談が当たらなかったとしても、石油を含めた化石燃料は決して少ない資源ではありません。石油がすぐに枯渇してしまうというような強迫観念にとらわれて、国やそこに住む人々の運命を決めてしまうことは誤りです。
その上、冊子の27〜28頁で示したように、原子力の資源であるウラン資源は石油に比べても数分の1、石炭に比べれば100分の1しかないという大変貧弱な資源なのでした。 事実をありのままにみることができ、それをありのままに表現するのであれば、「ウランは化石燃料よりはるかに早く枯渇する」ということになります。そんな原子力に人類の未来を託すことなどもともと馬鹿げたことでした。
一方、究極埋蔵量の全てを利用できるとすれば、石炭だけで現在の人類の使用量の1000年分あります。また、天然ガスも最近になって相次いで有望な資源が発見され、天然ガスだけでもおそらく人類の1000年分の消費量をまかなえるという推定もあります。1000年といえば、変化の激しい現代の世界では、とうてい予想できないほど遠い未来です。すなわち、予想できる限りの未来においてエネルギー資源自体は枯渇しないことになります。
W.エネルギー浪費社会を超える
1. 急速な浪費
人類が一つの生物種としてかってないほどの繁栄をした原因は、火を含めたエネルギーの使用にありました。ただし、人類が今日のように大量のエネルギーを使うようになったのは、人類の歴史から見るとごく最近のことに過ぎません。生物体としての人は、生命を維持するために食物として一日約2000キロカロリーのエネルギーを必要とします。地球上に現れて以降ずっと、人類はほぼそのようなレベルのエネルギー消費で生き延びてきました。1万年ほど前に農業が始まり、エネルギー消費は約1桁大きくなりましたが、爆発的にエネルギー消費を拡大してきたのは産業革命が起こった200年前になってからにすぎません。その後の浪費が如何に異常なことであるかを、右の図に示します。400万年生き延びてきた人類の全歴史で消費したエネルギーのうち、20世紀の100年だけで約60%を消費したのでした。
2.生物種の絶滅
地球上で生命が誕生したのは40億年前、そして人類という生物種が現れたのは約400万年前といわれます。40億年の生物の歴史の中では、たくさんの生物種が生まれ、そして滅びました。現在人類はこの惑星上で著しい繁栄をしているように見えますが、人類も一つの生物種としていずれは滅びます。すでに多様な形で現れてきた環境破壊はおそらくそう遠くない将来に人類自身の生存可能環境を破壊しそうです。ところが、人類は自ら絶滅する前にすでに多数の生物種を絶滅に追い込んでいます。現在、地球上に確認されている生物種は動物・植物あわせて約150万種です。しかし、熱帯雨林を中心として未確認の生物種が多数いるものと考えられていて、おそらくは総数6000万種に達するとの説があります。そして、図に示すように近年、人類はそうした生物種の多くを絶滅に追い込んでいっています。
3.迫り来る破局の危機
日本においては1880年代以降、50年で10倍になるような率でエネルギー消費の拡大を続けてきて、現在、日本に入射する太陽エネルギーの総量に比べて約0.6%のエネルギーを人為的に消費しています。このままエネルギー消費の拡大を続けるならば、数年後には太陽エネルギーの1%、2050年には10%、2100年には太陽が我々に与えてくれているエネルギーと等しいだけのエネルギーを人為的に消費することになります。そうした時代がどんな時代になるか人類には経験がありません。またそれを予測できるような学問もありません。しかし、かりにその時代の日本において、まだ人が生きられたとしても、従来と同じスピードでエネルギー浪費を続けるかぎり、2150年には太陽エネルギーの10倍、2200年には100倍のエネルギーを使うことになってしまいます。そのような未来に人類が生き延びられないことは当然です。
エネルギーの浪費になれてしまった日本人にとって、エネルギー消費を抑制することは容易なことではありません。原子力を推進しようとする人たちは消費を抑えることなど出来っこないとして、はじめからエネルギー消費の拡大を前提にしています。しかし浪費を抑えられないなら、私達自身が生きる環境を失います。結局、何よりも大切なことは、人類が生きていくために必要なエネルギーについて厳しく考察を進め、浪費を抑え、環境と調和したエネルギーを使用する社会自身を作り出すことです。そのためには長い時間がかかります。私達がいつまでも目を覚まさないのであれば、破滅はそう遠くありません。
医師の皆さんの積極的な活動は、きわめて大切な意味を持つものと思います。