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日石加工柏崎工場が閉鎖へ

 日石三菱グループの生産拠点の集約・効率化に伴い、日本石油加工(本社=東京・港区高輪二、金沢春男社長、資本金2億円、従業員数305人)は、来年3月末でJR柏崎駅東の柏崎工場(森敏昭工場長、従業員数33人)を閉鎖することを決めた。近代石油産業とともに歩んだ国内最古の製油所の歴史は、来春、102年の幕を閉じることになる。

 石油業界は規制緩和後の競争激化、原油価格の高騰、需要低迷などに直面し、日石三菱グループでは、製油所の閉鎖など大規模な効率化を図っている。日石加工は秋田事業所と柏崎、新潟、東京、下松(山口県)の4工場。昨年4月、日石新潟製油所が日石加工新潟工場に移管され、県内2工場になったため集約化に迫られていた。また、柏崎の原油は横浜、新潟から運ばれ、製品は主に京浜地区に出荷しているため、コスト面での課題もあった。

 日石加工柏崎は、日本石油本社が三島郡尼瀬から柏崎に移った明治32年の創業。一大コンツェルンを築いた実業家・浅野総一郎が創設した製油所が発祥で、旧宝田石油から合併を経て、日石柏崎製油所として大正から昭和まで歴史を重ねた。

 戦時中は空襲を免れ、戦後の一時期は新潟製油所とともに日石を支えた。従業員は最盛期、約350人に上ったこともある。

 昭和42年、日本石油から日石加工に移管され、特殊品から燃料油まで約600種を生産。平成10年3月、国際競争力を目指す日石グループ(当時)の合理化で事業を縮小した。柏崎工場で生産している潤滑油調合製品は、東京、新潟の工場と日石三菱精製横浜製油所に移管される。柏崎の従業員は同社の他事業所、日石三菱グループ各社の事業所に配転される。

 工場敷地は約800平方メトル。構内には明治・大正期の赤レンガの建物など歴史的遺産も多い。創業翌年に貨物専用線路が構内に敷設され、新橋・横浜間に鉄道が開通した当時のI字型「双頭レール」が今も残る。明治から柏崎を象徴してきた原油・石油製品の鉄道輸送も平成10年3月に終わった。

(2000/ 2/25)

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