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東原町遺跡で古銭の壷出土

 県埋蔵文化財調査事業団は16日、国道8号柏崎バイパス建設にかかる市内東原町地内、東原町遺跡の発掘調査で、備蓄銭を大量に納めた壷(つぼ)が出土したことを報道関係者に発表した。同遺跡は遺構や遺物から、主に鎌倉時代後期から戦国時代にかけての中世の集落跡と推定される。備蓄銭と呼ばれる大量に蓄えられた古銭は、珠洲(すず)焼きの壷の中から発見された。県内でこのように大量に確認されたのは4例目、壷の中からは初めて。銀行の金庫のような役割をしていたものと思われ、集落の状況を見極める上でも重要な遺物とされた。

 東原町遺跡の調査面積は約1万3千平方メートル。調査区域が広いため、A、B、C、Dの4区に分け、今年4月から作業を開始した。現在、A区、B区の一部の遺構検出を行い、各区とも上・下2枚の文化層が存在することが分かった。上層は14世紀から江戸時代まで、下層は13世紀を中心とする時代の遺構、遺物が確認されてい る。

 備蓄銭の入った壷はB区東側の上層で確認された。壷は、一辺約50センチ、深さ30センチの円形の土坑に正立した状況で検出された。大きさは口径20センチ、胴部最大径30センチ、器高30センチ。中には古銭がほぼ百枚単位でさし状(ひもに通された状態)にまとまって、口縁部まで詰まって入っていた。口縁部に木片のふたがされていた。

 このほか、上・下層から掘立柱建物、土器だまり、鍛冶(かじ)遺構などが確認された。山本肇調査官は「壷は14世紀前半と推定され、古銭はきちんとまとまっている状況からおよそ1万枚から1万2千万枚、少なくて7千〜8千、多くて1万5千枚以上。中国の宋の時代のものと考えられる」とした。

(2003/ 6/16)

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