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慈眼寺で江戸期住職の墓から石

 市内谷根の真言宗・慈眼寺(五十嵐精峰住職)で3日、歴代住職の墓から発見された石室の調査報告会が行われ、檀家の人たちは江戸時代の埋葬の様子などに思いをめぐらせた。

 寺では歴代住職の墓が散在し、しかも長い年月を経て傾いたり、痛みもあることから、昨年、旧本堂跡地にまとめ、改葬をするための工事を進めた。この時、墓所の最も小高い所にあった「佛如和尚」=1768(天明6)年没=と「秀如和尚」=1816(文化13)年没=の2つの墓碑の下に石室があるのを発見し、市教育委員会に調査を依頼。伊藤啓雄学芸員らが今年四月に発掘調査を行った。

 2つの石室は1辺90センチ4方、深さ110センチで、玄武岩や安山岩を組み合わせた構造。石室内には、流れ込んだらしい土がたい積していたが、佛如和尚の石室からは長さ九センチ・青銅製の五鈷杵(ごごしょ)や蝶番(ちょうつがい)、釘、秀如和尚の石室からも長さ6センチの五鈷杵、銭貨(寛永通宝)、釘などが見つかった。5鈷杵は煩悩の賊を破るという仏具。遺骨や木製と推察される棺や数珠は土中に分解されたのか見つからなかったが、いずれの和尚も手に仏具を持たせ、座った形で木の棺に納められて石室に埋葬されたことがうかがえるという。墓碑の移転後、石室はその場所で復元され、内部を見ることができるようにした。

 伊藤学芸員は「江戸時代のお墓、しかも墓標と地下施設の両方を調査した事例は全国的にも数が少ない。江戸時代後期の人たちの精神文化が反映されていて興味深い」と説明。五十嵐住職も「当時の寺の様子が分かり、感慨無量だ」と話す。集まった大勢の檀家の人たちはスライドなどを使った分かりやすい説明に聞き入った。

(2003/ 8/ 4)

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