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殉職の栗原医師の碑を移設

 1944年に市内椎谷地内の観音(椎谷)岬で発生した土砂災害により40歳で亡くなった栗原健二医師の「殉職の碑」が、岬の中腹にある夕陽が丘公園内に移設され、23日には遺族で長男の惇一さん(78)=市内穂波町=らが参列して移設披露と供養の法要が営まれた。中越沖地震の復旧工事として進められている「椎谷岬トンネル」が開通すると、碑のあった坂の下地内の国道352号が廃道になることから、椎谷町内会(佐藤正幸町内会長)が県に移設を要望していた。

 栗原医師は32年に椎谷地内で開業。当時の高浜町や石地、西山方面にも往診に出かけ、多くの人に信頼されていた。浜忠にあった太田小の学校医も務め、44年7月20日午前、予防接種のために自転車で学校に向かったが、豪雨による土砂崩れに巻き込まれ、土砂とともに波打ち際まで押し流され、遺体で発見された。戦時中で記録が残っておらず、20年後の64年になって椎谷区長らの手で「栗原医師殉職の碑」が現地に建立された。

 中越沖地震では44年の災害と同じ場所が大きく崩壊した。地震直後、市内東本町2の会田恵医師が医師会報に当時の様子を記し、これを読んだ佐藤町内会長らが県柏崎地域振興局に移設を要望。今回、県とトンネル工事を担当する福田・水倉共同企業体の協力で、市街地側に500メートル寄った公園内に移設された。

 供養の法要には椎谷や浜忠の住民、医師会、県、施工関係者ら約40人が参列。華蔵院・高橋教正住職による読経の中、参列者が焼香し、故人をしのんだ。

(2009/ 7/23)

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