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三島神社

三島神社
三島神社
所在地   新潟県柏崎市剣野町2−18(道根橋)

祭神  大山祗命
     大日本根子彦太瓊命
     吉備津彦命

所在地の「道根橋」は、付近に「道称橋」があり、「道祢橋」「道禰橋」もあるので、「どうねはし」の「禰」の文字が変化したものと思われる。
太鼓橋
太鼓橋
社殿
社殿
鳥居
部分修復されているが元禄に造営の鳥居
御霊社
稲葉家の御霊社
鴨八幡社
伝説のある南方から遷した鴨八幡社
 由緒によれば、天平13年(741年)に伊予国越智郡一宮三嶋大明神の別幣帛を勧請したもので、延喜 5年(905年)に勅命により着手し、延長 5年(927年)に完成した、延喜式神名帳「越後国三嶋郡三嶋神社」とある。
 昔は境内に王子宮、剣の宮、御膳の宮の三座と神宮寺、社家12軒、舞楽の役人 5軒あり、社領として三島沖、太鼓面、油田、千児作りほか数ヶ所あり、500石を有して繁栄していた。
  応安元年(1368年)に伊豆国から宇佐美佐馬助祐益が枇杷島村に来て、城を築き永住するようになり、代々この三島神社を崇敬した。
 宝徳年間(1449年〜1451年)に雷火により、宮殿炎上し社家も焼失した。神領もなくなり衰退した。
 明応 9年(1500年)長尾為景が当社に参詣して額一面を寄付した。
 永禄 7年(1564年)宇佐美が没落し城跡を壊し放火した際に飛び火により宮殿・社家が類焼して、神宝・古記録などがほとんど焼失したが、社家のうち五十嵐葛丸の1軒が残り、遺宝を守って神殿を再営して神跡を伝えた。
 文禄 4年(1595年)上杉景勝が奥州会津へ移封されるときに、兜一頭を奉納された。
 慶長 3年(1598年)国主堀左衛門督秀治は、新たに神領 3反歩を寄進した。
慶長15年(1610年)領主松平上総介忠輝の時に、幕府から御朱印の制禁書が出た。
 元和 5年(1619年)領主松平伊予守忠昌より、神領 4反歩を寄進される。
 貞享 3年(1686年)稲葉丹後守正通が領主となると、「稲葉家の祖先は越智氏であり、三島の神はその祖神である。」として深く尊敬され、年々家臣を遣わして参詣し金品を奉納した。
 元禄 6年(1693年) 8月高田城から神主の将鑑に登城が命じられ、神領新田高30石並びに古来からの社領高 7石 6斗 5升の御黒印証を下された。また本殿覆いを行い、神扉塗を柏崎島町の重左衛門に、鳥居造営を柏崎大工宮島吉左衛門に命じられた。
 元禄 7年(1694年)8月11日越後国頸城郡高田城主丹後守越智宿禰稲葉正通が家老以下480人を伴い参拝された。
 元文 3年(1738年)稲葉丹後守正恒が祖先の霊を祀るため境内に御霊社を造営した。
 明治 4年(1871年)社領が新政府により召し上げられた。
 明治 6年(1873年) 9月24日社格として県社に指定され、郷社も兼ねた。
 明治29年(1896年) 4月17日日清戦役の戦利品の銃ほか 9点奉納される。
 明治39年(1906年)12月31日新潟県知事より神饌幣帛料を供える神社に指定される。
 明治40年(1907年) 3月陸軍大臣から日露戦役戦利品の砲弾ほか 8点と奉納記を奉納される。
 昭和 5年(1930年)11月26日夜神殿が炎上、建物すべて焼失した。延焼を免れた御霊社の萱葺き屋根を銅板葺きに修理して仮本殿とし、仮拝殿を作って12月 9日夜御神体を遷した。
 昭和 6年(1931年) 3月11日柏崎町、刈羽郡内各町村の篤志の援助により社殿造営を決め、奉告祭を行い、 5月19日地鎮祭、 8月26日本殿立柱祭、 8月28日上棟祭を行った。 昭和 7年(1932年) 3月12日拝殿の上棟祭を行い、 6月には社殿全部竣工し、 7月16日夜遷座祭を行った。
境内地 1,198坪(3953u)

社 殿  
本 殿 神明造(木口椽、高欄付)銅板葺、檜素木造り   9.33坪( 30.8u)
幣 殿 両流れ、銅宕葺、槇白木造り   6  坪( 19.8u)
拝 殿 流破風造(木口椽、高欄付)銅板葺槇白木造り向拝付  30.41坪(100.4u)
神饌所・控所其他  5件 舞楽殿 入母造屋   6  坪( 19.8u)
社務所  
境内神社
御霊社  祭神  躬瓊霊神 稲葉丹後守従四位侍従越智宿禰正勝公
            直本霊神 稲葉美濃守従四位侍従越智宿禰正則(正通父)
            有智霊神 稲葉丹後守従四位侍従越智宿禰正通公
            保岐霊神 稲葉駿河守正喬公(正則二男)
      社殿  間口 1間 奥行 1間
若宮      祭神  若年神  創立年月不詳 石祠 間口 1尺 5寸 奥行 2尺 5寸
藤本稲荷社 祭神  倉稲魂神 創立年月不詳 石祠 間口 1尺 3寸 奥行 2尺 3寸
鴨八幡社  「鴨くぐり」の伝説のある南方の丘から遷したもので左側は秋葉大権現


1999/4/28 UP
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