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寶龍山 洞雲寺(曹洞宗)

洞雲寺門前
洞雲寺山門碑
宝暦4年(1754)と刻まれている。
所在地 柏崎市常盤台5−1  地図を開く
越後国刈羽郡大久保村字一貫地(大州村大字大窪
本寺 吉川町大字天林寺 曹洞宗転輪寺
転輪寺の開基は長尾為景、上杉謙信
長禄2年(1458年)丹波国円通寺末天林寺が当地に建立、以来地名になる。
吉川と平等寺川に挟まれた地域である。
同寺は戦国期に上杉謙信の伯母の法号にちなみ転輪寺と改称する。
昔は今の位置より南の山上にあって北向きで、真言宗だった。住僧5世ばかりで衰退し、延徳年中(1489〜1491)に丹波国円通寺2代正欣の弟子である雷菴という人が再建した。
明応2年(1493)正月13日創立。開山は、雷菴性隆禅師。
後に宇佐美駿河守が枇杷島城主の時、4代祖廓に帰依して、現在の地に寺を移し、山を切り開き、門前の道を通し、東向きとした。寄りつきの山に宇佐美家の家来長尾五郎治という者が、剃髪し庵を結んで生涯閑居した。遺言をして行基の作という薬師像と山林を寄付した。五郎治の戒名を「天永元高庵主」といったためこの山を元高山という。
客殿  6間に9間、茅葺き
本尊  木仏、座像、長さ1尺5寸 行基の作と云い伝う
庫裏  5間に8間、板葺き
禅堂  5間四方
元は東雲寺といったが、天和年間(1681〜1682)に「洞雲寺」と改めた。
この寺の境内は、塵界を脱し仙郷のようで、人々が清遊するところである。上杉謙信も近くを通るときは必ず当寺で休憩して、景色を愛され若干の寺領を寄付されたという。
下條氏の顕彰碑 元禄の頃鯨波村下條総左衛門がこの寺の付近にある笹谷山(赤坂山?)を寄付した。
明治31年(1898)本堂を焼失し、明治41年(1908)再建する。壇中が笹谷山を寄付した下條氏の徳をたたえ境内に石碑を建てた。
山門
明治31年の火災に焼け残った山門
寺の裏山の墓地に貞心尼の墓がある。いつ頃建立されたものか不明。辞世の歌が刻まれている。「孝室貞心比丘尼墳」と弟子の孝順尼、智譲尼の名も刻まれており、明全尼の無縫塔が側にある。
寺に面して中村籐八(中村昭三の祖父)の墓がある。籐八翁が生前上京して、旧大名の墓を買い入れ自分の墓とした。慶安5年(1652)8月と刻してある。籐八翁は貞心尼の遺稿「はちすの露」「焼け野の一草」をはじめ、その遺墨のコレクター。柏崎市立図書館「中村文庫」の寄贈者。境内の下條氏顕彰碑の建立者に「世話人中村籐八」とある。
参考文献
柿崎町町史、柏崎市史中巻(白川風土記)、柏崎史誌、温古の栞

1998/11/5 UP
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