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瀬戸内海に入ってからは1日の移動距離も短いために、朝は比較的のんびりでしたが、
今日は事情により8:00までに大竹へ入る為、5:45に広島を出港しました。
事情というのは吉川艇長の都合によるもので、
本日はセレモニー等も大原さんひとりにお願いして、吉川艇長は夕方まで不在。
今日は大原さんが艇長代理として主役の1日です。
そこで、どうせなら・・・と本日の航海は、操船から全て大原さんひとりにお任せしてみることに。
実は、ヨット歴の長い大原さんですが、1級小型船舶の免許を取ったのは定年後の昨年。
それまでは、離発着などには一切手を出さなかったので、そういう意味ではまだ初心者。
おまけに『いそしぎ』にはまだ慣れていないので、今日はある意味 訓練航海です。
(2人しかいないので、ひとりで何でもできるようになっておかないと、いざという時に困るので。)
いざ走り出したら、地形(全体)を見ずにコンパスだけを見て判断し、
逆方向(音戸の瀬戸の方)へと船を向けてしまうという失敗もありました。
でも、誰もがみんな、そんな失敗を重ねながら身体で覚えていくのです。
きっと柏崎にゴールする頃には、大原さんも経験を積んで脱・初心者かな。
それにしても、定年後こんな風に意欲的にチャレンジして、免許を取ったりすることは、
「やってみたい」と思う人はいても、行動に移せる人は少ない気がします。
いくら今までの経験があるとはいえ、若いうちに取る以上に大変だと思うし・・・。
(次は、吉川艇長が大原コック長からお料理を習う番かしら?) by.広報担当者
今日もいいお天気で、梅雨の存在を忘れてしまいそうです。
風も波もなく、穏やかな海を順調に航行し、
昨日寄った宮島の厳島神社の美しい姿を見ながら大竹へと入りました。
(しかし、厳島神社の辺りは水深が5m〜10mというところもあり、浅くて緊張しました。
つい何日か前にフェリーが暗礁に接触して浸水したのもわかる気がします。)

8:05に大竹へ入港すると、すでに市役所の職員さんが4〜5人で出迎えていてくださいました。
岸壁に係留し、ご挨拶を済ませると、個人的な事情により出かける艇長を
市役所の方お二人が車で駅まで送ってくださいました。
駅と言っても最寄りの駅ではなく、隣の山口県にある新幹線の駅まで、
高速道路を使って送り届けていただいたのです。
更には、乗換え等の路線情報まで資料を用意していただいてあるという
驚くほど親切な対応に恐縮しながら、吉川艇長は出かけて行きました。
吉川艇長の留守中、大原艇長代理の方はと言うと、
まず対応の良さに驚いたのが、係留場所のバウとスターンのもやいにそれぞれ、
2日間、地域交流センターの関係で『いそしぎ』が入港して使用する旨が書かれた
港湾管理発行の紙(パウチ済み)を貼り付けていただいたので、
漁船の方たちとのトラブルが一切なく済んだこと。
こういう対応をしてもらえたのは、ここ大竹が初めてです。
このちょっとしたひと手間のおかげで、ノークレームで係留させてもらえました。
そして、朝のうちに市長の中川さんが船まで顔を出しに来てくださいました。
とても気さくな市長さんで、昼食にも誘っていただき、
議会の合間に、本場・広島のお好み焼きを食べさせていただくことができました。
焼き方も独特で、ボリュームがあり、ソースも違います。
ちょっと量が多いかな?と思いましたが、あまりのおいしさにあっさり完食。
(吉川艇長は、こんなおいしいものが味わえなくて残念でしたね。)
珍しく時間が少しあったので、買い物を済ませ、掃除機をかけることもできました。
市役所のシャワールームもお借りして、タオルまで用意していただき、
市の方からここまでしていただけたのは初めてで、恐縮の極みです。
15時からは、改めて市長さんがお見えになり、セレモニー。
市長さんが、大竹市の方で 3年かけて家族で世界一周したヨットマンに声をかけてくださり、
その方(山下さん)も来られてセレモニーに参加されました。
新聞社(読売さんと西広島タイムスさん)の方も来ていました。

さて、一方 吉川艇長の向かった先は、福岡。
用事を済ませた後、少し時間に余裕があったので、福岡タワーに行ってみました。
観光目的ではなく、この先の航海で行くところを上から見下ろそうという考え。
123mを約70秒で上るエレベーターであっという間に着いた先からは、遠くまで見渡せ、
艇長夫人が行ったことのある 松林に囲まれた小戸ヨットハーバーも見えました。
17:20に新幹線を降りると、待合室で今朝送ってくださったお二人が待っていて、
また車で船まで送り届けてもらいました。(余計な残業までさせてすみません。)
夜は、ぜひ艇長とも・・・と、また市長さんが食事にお誘いくださいました。
予定があったそうですが、途中で抜け出して21時頃に迎えに来ていただきました。
案内していただいた先は、小さな小料理店だったのですが、
次から次へとおいしいものが出てきて、艇長曰く「3日分の栄養を摂らせてもらった」だそうです。
お刺身も、日本海側では見たことのない貝などがあったり、
イカも梅肉和えになっていておいしかったし、めばるそうめん、あなご丼などなど・・・
書ききれないほどの絶品料理をご馳走になりました。
ここでも、世界一周された山下さんご夫妻を呼んでいただいたので、
ヨット談義でも盛り上がりました。
色々なところで、たくさんの方から良くしていただきながら航海していますが、
市長さんが1日に何度も顔を出してくださったり、
こんな風にプライベートな時間までおつき合いいただけたのは初めてです。
また、市の職員さんたちの親切な対応と細かいところまでのご配慮にも、
恐縮しまくるほど感激でした。
市長さんのお人柄やご指示もあったのかもしれませんが、
それだけではここまでできるものではありません。
中心となって色々お世話いただいた企画室の三井係長さんをはじめとする、
職員の方ひとりひとりが、親切で温かい人柄なのだと感じました。
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大竹は工業の街。
海からもそれがわかります。 | |
これには感激!のお気遣い。
おかげでトラブルなく過ごせました。 |
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とても気さくな中川市長さん。忙しい合間に何度となく船まで足を運んでくださいました。 |
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市長さんがお昼に大原さんを案内してくれたお好み焼き店。
看板にも創業50年と書かれていましたが、
本当においしいお好み焼きでした。
さすが、本場の広島焼きという感じ。
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夕食に市長さんから連れて行っていただいた
お店のご主人と奥さま。
楽しい雰囲気とおいしいお料理で大満足。 |
左が市長さんで、右が山下さんご夫妻、
真ん中がお店に居合わせたお客さん。 | | |
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いつも落ち着いた雰囲気で、そんなにおちゃめな失敗をするようには見えない大原さんですが、
実はおっとりタイプで、日頃から時々楽しい失敗があるそうです。
出港時に、バックで出るのに舵を逆に切ってしまい、
慌てて吉川艇長が飛び降りて船を押すという冷や汗モノの一幕があったり、
ずいぶん前には、皆さんに出迎えられての接岸時、
アスターンをかけようとしたら、バックギアが固くて入らず、
ギアのノブが取れてしまい、慌てて艇長が操船を交替・・・なんていうことも。
(その醜態を見ていた人たちは、きっと顔がひきつっていたことでしょう。)
バックギアは、『いそしぎ』を譲り受けた時から固かったのですが、
航海を続けて行く中で、ますます固くなり、入りにくくなっているので、
これは大原さんのせいばかりではありません。
時間を見つけて本格的に整備をする必要がありそうです。
そういえば、『いそしぎ』を東京夢の島マリーナへ回航する為、諸磯まで車で向かう時にも、
関越自動車道から圏央道へと入り、R16に降りるはずが、同乗者がつい居眠りをしてしまい、
ハッ!っと目覚めた時には、なぜか大泉(練馬)にいたということがありました。
関東の道路を知らない人にはわからないと思いますが、
道に迷ったにしても、どうやったらそこへ行くのか、とても不思議なことなのです。
本人曰く、方向音痴だと言うのですが、バイクではひとりで遠くまで出かけるんですよね。
(もしかしたら、バイクに乗るとガラっと人が変わるのかも。)
広報担当者は、聞かれなくても おしゃべりな性格で、
吉川艇長は、聞かれると かなりしゃべる方。
大原さんは、聞かれても 多くを語らない人なので、
この航海中に、大原さんの隠された魅力を少しずつ引っ張り出したいと考えています。
(現時点で、2つほどネタを温めているところです。)
今日は、今まで以上に大原さんに親しみを感じてもらえたかな? |
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ずっと書けずにいた 6/10の夕方にあったトラブルについて、ようやく書ける時が来ました。
6/12分の航海日誌の中で、竹原で急な連絡を受けて船籍票をFAXした際の出来事
だということだけは書いてあったかと思います。
実は、時間的にギリギリで慌てていた為、吉川艇長が観葉植物で左目を擦ってしまったのです。
ずいぶん前の航海日誌で、この航海に出る直前に眼のレーザー手術を受けたことを書きましたが、
経過を見せに行く暇もなく航海に出てしまっているところへの思いがけない事故でした。
そして、吉川艇長の左目はぼやけて、ほとんどよく見えない状態となり、
24時間以上経過した翌日(6/11)の夜になっても症状は変わらず、左目はぼやけたままでした。
片目では遠近感もなくなり、なんともない方の目も極端に疲れます。
航海では目はとても重要。 知らないところでの航海なので、更に神経も使うこととなり、
毎日のパソコンへ向かう作業も大変でした。
とりあえず、吉川艇長が自分で 手術を受けた病院へ電話をかけて事情を説明し、
東京まで戻るのは難しいことを伝え、福岡にある病院で15日に診察してもらえることとなりました。
しかし、15日までは日数もあり、その間に症状が悪化したり取り返しのつかないことにならないか、
このままでは、航海の安全どころか、生活にも支障が出てしまう可能性もあるし、
場合によっては代役を探すか、航海の中止を考えなくてはいけないことも・・・と、
様々な不安と心配とで、広報担当者も祈るような気持ちで眠れぬ夜を過ごしました。
(居てもたってもいられず、深夜 自力で吉川艇長が手術した病院を調べて、
受診日までに注意する点や何か出来ることがないかと、メールで直接相談までしてしまいました。)
6/12には、目は驚くべき変化が現れました。
ぼやけていたのが少し良くなって来たと思ったら、
なんともない右目は、(近くは老眼で見えないものの)遠くはよく見える状態なのに対し、
左目は、遠くは 視力が低下して見えなくなっていて、近くの方がよく見える状態。
(この時点で、少し良い方に向かったので、心配をかけないようにと内緒にしていた艇長夫人にも、
眼のことを伝えたのですが、その瞬間には 「もう航海をやめて帰ってきてちょうだい」という言葉も
出るほど心配していました。 当然ですよね。)
その後、少しずつ視力が回復していき、
ようやく迎えた今日(待ちに待った6/15)、福岡まで新幹線で行き診察を受けることができました。
診察の結果は、眼のいちばん表面の薄い膜が、強く擦られたことにより傷ついてダメになった為、
ぼやけて見えない状態となったものの、その膜が何日かかけて徐々に再生し、
それに伴い視力も少しずつ回復して行き、診察の時点では右目と同じ視力まで戻っていました。
薄い膜の次にある部分までズレてシワが寄ったまま、何日も放置して固まると、
場合によっては再手術が必要だと教えてもらっていたので、自然に回復できてホッとしました。
(吉川艇長の名前は書かなかったのですが、病院の方はすぐに広報担当者の
相談 メールが吉川艇長のことだとわかったようで、診察時にそのメールを吉川艇長
に見せてくれたそうです。
いちばん不安な時に書いたメールなんて、なんて書いてあったのか・・・
まったく恥ずかしいですよね。)
今回、吉川艇長の眼を負傷させた観葉植物は、ユッカ・エレファンティペスという
リュウゼンラン科ユッカ属のメキシコ・中南原産の植物。(だと思われます。)
その手の本などには、「葉が硬く鋭いので注意」などと書かれているものです。
50種ほど存在するのですが、「葉は硬く刃剣状のものが多い」とも書かれています。
そこにあったものは、通常サイズよりずいぶん良く育っていたらしく、
高さもあり、横にも広がっていたそうです。
普段なら、たとえ邪魔になるところに観葉植物が置いてあっても、
当たり前のように避けて通るところですが、時間に追われて焦っていた為に、
少しでも最短距離で歩こうという気持ちがあったのでしょう。
とにかく、眼が無事に回復して本当に本当によかったです。 |
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