日本ぐるっと一周海交流<西回り>

航 海 日 誌

2004.7.14(水) 

停泊中の『いそしぎ』へ帰着

昨夜22時出発の直江津港からのフェリーで博多へ。
 
後半の航海で通るルートをフェリーで逆行するというのも妙な感じですが、
ヨットでの航海とは違い、1万トンもある大型フェリーでの船旅は快適そのもの。
 
(広報担当者は、「行きはよいよい帰りは・・・」という童謡を思い浮かべてしまいました。
『とおりゃんせ』は、埼玉県川越市の三芳野神社参拝を歌ったものだそうですね。
川越城内にあった神社なので、「お城の天神さま」と言われていたとか。
どうして帰りは怖いのかというと、境内から何か持ち出す者がいないかを
門番(?)が厳重に調べたことから、帰りの方が怖いということらしいです。
「ごようのないもの」の「ごよう」は、ずっと「ご用」=それなりの用事かと思っていましたが、
通行手形のようなもののことを「ごよう」と言ったという説が有力みたいです。)

 
航海の中休みも、連日忙しく過ごした吉川艇長は、
フェリーの中で久しぶりにゆっくりと睡眠をとることができました。
 
夕方には博多に到着し、そこからは電車を乗り継いでハウステンボスまで移動。
 
特急の中で急に心配になったのは、ヨットの鍵がマリーナに預けたままだということ。
ハウステンボスへ着くのは22時頃になる見込みなので、
マリーナの方が夜間 誰もいなければ、ヨットに入ることができません。
 
そのことに気がつき、慌てて広報担当者へ電話をかけて、
小声で「ハウステンボスマリーナの電話番号を調べて!」と言ったのが、20時前。
今日は何の心配もないだろうと気を抜いていたらしい広報担当者も、
「えっ、確かハウステンボスマリーナの事務所は18時までだよ(汗)」と、
かなり慌てながら、速攻で電話番号を調べてくれました。
 
その後 10分も経たないうちに、心配した広報担当者から連絡が取れたかどうかと
確認の電話が入りましたが、おかげさまで連絡も取れて大丈夫でした。
(広報担当者は、もしもの場合に備えて、ハウステンボス駅前にあるホテルの料金まで
調べてから電話をかけたのです。 無駄に終わりましたが、必要なくてよかったです。)

 
 
結局、ハウステンボスへ到着し、『いそしぎ』にたどり着いたのは22時半過ぎになりました。
(重い荷物で、ヨットまでの遠い道のりを歩くのは大変そうだと思ったのか、
ハウステンボスの入口からは、車で送っていただき非常に助かりました。)
 
停泊中の『いそしぎ』に関して、いちばん心配だったのは艇内の湿気でした。
 
ハウステンボス到着前から滞在中、ずっと悪天候(大雨)と蒸し暑さとで、
湿度が高いまま閉め切って、約3週間置いたままだったので、
最悪の場合はカビでも生えているのではないかと不安でした。
(広報担当者は、ファブリーズを買って艇長の荷物の中へ入れておきました。)
 
しかし、恐る恐る開けて入ってみると、予想外に中はカラっと乾いていて、
嫌な匂いもまったくありませんでした。
 
満点の星空とハウステンボスの美しい夜景を見ながら、
今夜は、風を通しながら眠ることにします。
 
 

フェリーでの朝食。
石川県沖通過中でした。

サロンのテーブルでチャートを広げて、
航海の打ち合わせもしました。
 

25ノットで走るフェリーは迫力がありました。

長さが190mもあります。
 

そろそろ福岡が近くなった頃。 (一時的に雨っぽくなりました。)
 
 

昨夜、新潟を出発する吉川艇長と大原さんを柏崎で見送り、
その後 250kmのドライブ(?)へと出かけた広報担当者ですが、
先日のスピード違反があった為、制限速度を守り真面目に安全運転。
(話の見えない方は、航海日誌お休み中に連載していた『きまぐれ日記』を見てくださいね。)
 
しかし、高速道路を制限速度で走るというのは、なんと苦痛なことか。
眠くなってふらふらしてしまい、普段より数段危険な気がしました。
早く、ゆっくり走ることに慣れなくては・・・。
 
1時間以上も高速道路を走っていたのに、その間 一度もギアチェンジせずに
オートマ状態で運転したのは初めての経験でした。
すると、なんと燃費が良いのでしょう。 (ちょっとびっくり。)
ゆっくり走るっていうのは、車と地球とお財布に優しい運転なのですね。
 
 
昨日までは、吉川艇長と行動を共にすることが多かったので、
度を超して焼け焦げている吉川艇長の隣では、広報担当者の日焼けも目立ちませんでしたが、
今日になって冷静に見てみたら、あまりにも焼け過ぎです。
 
今夜のお風呂は、入浴剤の代わりに漂白剤を入れて浸かりたい気分です。
 
 
前半の航海を終えて到着したハウステンボスは、滞在した約3日間ずっと雨でした。
最終日は、雷雨に強風にと荒れていましたが、
クルーたちが新潟へと戻った翌日には、記憶に新しい佐賀の突風(竜巻)もありました。
 
あの時、九州に何日も停滞して大きな被害を出した梅雨前線が、
ここ何日か新潟県辺りの上空にあり、とんでもない被害が出ています。
 
浸水だけでも後始末が大変なのに、家屋の倒壊もかなりあるようで、
車の水没台数もいったいどれほどになるのか・・・。
命を落とされた方までいるというニュースに、広報担当者もショックを受けています。
 
堤防の決壊から1日半経過した今も、水が引かない地域が広範囲に渡り、
未だに4,400戸が停電したままで、床上・床下浸水は約23,000戸。
避難所で過ごした方が2万人以上という話ですが、
避難できずに取り残されている人たちもまだまだいるそうです。
 
家族と離れ離れで連絡手段がないままという人たちも不安だと思います。
浸水して避難もできずにいる地域では、当然電気も電話も通っていないので、
TVも見れず、携帯電話も電池が切れて・・・という状況なのでしょうね。
 
今日、「復旧の目処がまったく立たない」とニュースで言っているのを何度も耳にしました。
 
確かにそうなのかもしれませんが、そう簡単に言って欲しくはないです。
なんとかして復旧しなくてはいけないのですから・・・。
 
何年経っても忘れられない阪神・淡路大震災の際にも、広報担当者は同じようなことを感じて、
TV嫌いに陥りそうでした。
 
これ以上 被害が広がらずに、1日も早い復旧を願いたいです。
 
 

大学のヨットの船検は、キールの破損等心配な要素もありましたが、
本日無事に終わりました。
 
キールの修理は、吉川艇長がまたしばらく不在となる為、
吉川艇長の提案でミス日本海メンバーの西方さんに相談してみることに・・・。
 
西方さんも仕事が忙しく、来週の水曜日ならばマリーナに足を運べるようなので、
それから具体的な相談をすることになりそうです。