日本ぐるっと一周海交流<西回り>

航 海 日 誌

2004.7.22(木) 

大物が数多く出ている萩

今日は久しぶりのうすぐもり。 風もほとんどなく、波もなし。 とても静かな海です。
 
早朝の長門では、漁港の岸壁いっぱいにずらりと漁船が並び、更に3重に係留。
停め切れないほどの漁船が捕ったばかりの魚(今はイカ)を下ろしていました。
 

 
6時に長門を出港しましたが、今日は思いがけないトラブルを抱えたままの出港でした。
 
トラブルと言っても、ヨットの方ではありませんのでご心配なく。
ヨットの中で大活躍のノートパソコンが、今朝いきなり起動しなくなったのです。
昨夜までは快適に使えていて、特に変わったこともなかったのに・・・。
 
沖へ出たところで、大原さんひとりに操船を任せて、
吉川艇長は、艇内で広報担当者と電話をしながらパソコンと格闘。
 
症状としては、Windows起動時に例外エラー(OD)が出て、safeモードでも起動できない状態。
おまけに、毎日こんなにも活躍してくれていたこのノートパソコンですが、
実は、数年前からFDDとCDドライブが故障したまま吉川艇長が放置していたものを
広報担当者が蘇らせたという問題の多いマシンなのです。
(数年前から吉川艇長の愛機は自作マシンになり、
ノートパソコンは役目を終えて静かに眠っていたのです。)
 
なので、何か1つインストールやらセットアップするにも大変!
そんな状態の中、(しかも海の上で)OSの例外エラーだなんて、かなり致命的。
 
「ダメな可能性が高いから期待しないで」という言葉と共に、
広報担当者からまず指示されたのは、レジストリの復元。
しかし、やはり予告通りにだめでした。
(復元自体はすんなりうまく行ったので、一瞬期待したのですが、
広報担当者はそんな言葉を聞いても期待していなかったようでした。)
 
そして、次に指示されたのは、Cドライブ内からのWinsowsの上書きインストール。
チェックから始まり、ずいぶんと時間がかかり、
再起動後の各種自動設定も、故障したままのFDDやCDドライブで数分止まったり・・・と
不安になる場面もありましたが、8:45に萩へ入港するとほぼ同時(接岸寸前)に終了し、
無事にWindowsが起動できました。
 
祝! 復活。
 
しかし、一度コレが起こるとまたすぐに再発する可能性もあると広報担当者から釘を刺されました。
とにかく、まずはデジカメで撮り溜めたデータをバックアップするようにきつく言われたので、
時間を作ってバックアップ作業をしました。
外付けのCDドライブも認識し、問題なくRに焼くことができました。
 
今度起きたら初期化から・・・だと広報担当者は言っていましたが、
なにせFDもCDも使えないので困ったものです。
そろそろ買い替えることも検討中の吉川艇長でした。
 
今日は移動距離が短く、3時間の航海でしたが、
大原さんはひとりで責任重大だったので、ずいぶんと神経を使ったかもしれませんね。
おつかれさまでした。 by.広報担当者

 
 
萩では、田中委員長のお兄さんが出迎えてくださいました。
明日からお世話になる阿武が田中委員長のご出身地なのですが、
お兄さんのひとりが、40年前から萩で暮らしているのだそうです。
 
70歳だと言う田中さんはまだまだお元気で、ご自分の漁船で釣りに出たりもしていました。
今はイカが良い時期だそうで、おいしいイカも分けていただきました。
夜にはご自宅でシャワーまで使わせていただき、
係留場所から市内観光まで、すべて田中さんがお世話してくださいました。
 
 
まずは、萩市役所へ案内していただき、市長の野村さんにお会いしました。
萩は、毛利が来てから今年がちょうど400年目とのこと。
秋には、開府400年のイベントも予定されているそうです。
 
毛利といえば、相模から萩へと移った西国毛利と、同時に新潟へ移った越後毛利とがあります。
西国毛利は途中一度その血が途絶えそうになり、越後から毛利の純粋な子孫が萩へと移った
歴史があるのですが、その越後毛利の本拠地というのが吉川艇長宅から10km程の所。
吉川と毛利の歴史に興味を持っている吉川艇長としては、萩はゆっくりと訪れたい地でした。
 
田中さんの案内で、田床山から萩の街を一望し、毛利の萩城へも足を運びました。
そこでは、着物の萩美人に見とれながら濃茶をいただきました。
(さすがは萩城、毛利の家紋入りのお菓子付きでした。)
 
また、萩といえば吉田松陰の生まれたところです。
日本全国を旅したことが、その人生を大きく変えたのか
ペリー艦隊に海外密航を試み失敗し、世界にもその名が知られることとなりました。
 
出獄後の幽閉中に松下村塾を引き継ぎ、再投獄までの1年間ほどで
多くの大物を生み出したことでも有名です。
高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一、吉田稔磨、前原一誠、品川弥次郎、
野村靖、山田顕義、松浦松洞、伊藤博文、山県有朋、松本鼎などがその出身です。
 
総理大臣も何人も出ているという萩には、
歴史となんとも言えない独特の雰囲気を感じることができました。
 
 
萩港の西側にある運河脇の係留場所では、ワタリガニらしきカニが網で簡単にすくえました。
かなり大きなカニもいましたが、吉川艇長がびびって捕り逃がしてしまいました。
そういえば、7月初旬の川遊びでも長女が見つけた大きなモクガニに逃げられていたし、
どうやら吉川艇長は大きなカニが弱点らしいです。
(なんでも、子どもの頃に大きいモクガニに挟まれたことがあるそうです。)
 
ここは、道の駅『萩しーまーと』がすぐ近くにあり、魚を水揚げする市場もあります。
そんなところで、こんなに大きなカニがいるなんて、思わず童心に帰って楽しみました。
 
夜には、萩ヨットクラブの方たちが訪ねて来てくださり、『いそしぎ』の中で歓談となりました。
25日に大きなヨットレースを控えているため、
マリーナにはよそからのヨットも入り始めているそうです。
 
 

青海島を回り込んでいるところ。 切り立った断崖絶壁が見えました。
 

市長さんへ親書をお渡ししているところ。

市長さんと田中さんと一緒に記念撮影。
 

田床山から見下ろした萩市。 残念ながら今日はよく見えませんでした。
 

 

田中さんとツーショット。
 

萩城天守閣跡のお堀。
 

係留場所の向こう側に見えるのは運河。
石組みの立派な護岸で、隣の入り江に繋
がっていますが、今は回転式の橋が動か
ない為、大きい船やヨットは通れません。

係留していた場所に、ワタリガニ(?)
がたくさんいて、網で簡単に捕まえる
ことができました。かなり大きいもの
もいました。 
(食べたのかしら?)
 
 
ようやく全国的に梅雨明けとなりました。
 
タチの悪かった梅雨前線がいなくなったので、超局地的な集中豪雨の心配はなくなりましたが、
これで正真正銘 本格的に暑い夏がやってきたわけですね。
すでに、関東から西ではもう十分過ぎるほどの酷暑を味わっているかと思いますが、
まだまだこれから・・・なのでしょうか。
 
 
この暑さで、ビールや電気製品等を見ると景気にプラス要素として働いているようですが、
逆に大きな損害が出ている業界もあり、心配です。
 
赤潮による影響で、養殖のお魚があちらこちらで大量死ということですが、
岡山、広島、香川で発生している新プランクトンは、経済的な問題だけでなく不安があります。
新しいモノには免疫がない為、恐ろしい速さで被害が拡大する場合も考えられます。
インフルエンザなどでも、免疫のない新型ウィルスが登場すると脅威・・・というのと同じですね。
(そういえば、今日 もしかしたらインフルエンザに関する新たな見解が生まれるかもしれない
 新事実が発覚しました。 まだデータ上からの仮説にしか過ぎませんが、今後の研究に注目です。)
 
コイヘルペスは、水温のコントロールで繁殖を抑えたりできることがわかったようですが、
高原性鳥インフルエンザに、BSEに、SARSに、ウエストナイルウィルスに・・・と、
人も動物も生きにくい要因が急激に増えている気がします。
(牛に鳥に・・・と思ったら、今度は豚コレラ。 日本の家畜&食肉はどうなっちゃうのでしょう。)
 
 
そして、異常気象の影響から来る自然災害も増えています。
先日の豪雨の爪あとは、まだまだ各地に大きく残っていて、
直接豪雨の被害がなかった(約100km離れている)能登まで、1,000トンの漂流物だなんて・・・。
航行する船舶も、そこまで考えて注意をする必要がありますね。

『いそしぎ』がこれから寄る予定のある地域にも流れ着いているようですが、
辿りつく頃には、撤去作業が終わった後なのかしら?
羽咋市などには、長さ約20mもある流木が流れ着いた他、ガスボンベ、車のタイヤ、畳などなど、
とんでもない量らしいです。
(海水浴シーズンなので、明日には片付け終わる予定らしいですが、
 終わっていなかったらボランティアで作業に参加ですね。)
 
 

毎日のように色々なニュースがありますが、日本ぐるっと一周海交流のおかげで、
『いそしぎ』が寄らせてもらった土地には親しみを感じ、敏感に反応するようになりました。
 
そんな中で、最近驚いたのは似島のニュースです。
 
似島といえば、6/14に広島へ入る(出戻る)直前に時間変更の連絡を受け、
すぐ近くの似島へ一時的に寄り、時間調整をしたところです。
 
原爆死没者の遺骨発掘調査で新たに被爆者遺骨11体分が見つかり、
5/27の試掘以来の合計が39体となったというニュースでしたが、
宇品港のライブカメラでも何度となく見ていたあの似島にそういう歴史があるとは知りませんでした。
 
こんなに時間が経っているのに、まだ戦争が終わらないままの人たちが
たくさんいるのだと改めて感じました。