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約3ヶ月(航海の中休み期間の『きまぐれ日記』を含めたら3ヶ月半)の
『航海日誌』も終わりを迎えました。
『きまぐれ日記』は不定期で続けて行く方向で考えていますが、
ここでいったん区切りをつける意味も込めて、
色々な方からいただいた当サイトに関する疑問・質問を中心にお答えしようと思います。
(航海に関する総まとめは、後日 吉川艇長から書いてもらう予定です。) |
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Q.1 『いそしぎ』のクルーは吉川艇長と大原さんの2人だけのはずですが、
"広報担当者”も乗っているのですか? それとも、車で一緒に回っているのですか?
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広報担当者は、今回の航海では東京夢の島マリーナ出航時〜横浜ヨット協会までの1区間と、
最後の直江津港〜柏崎ゴールまでの1区間しか乗っていません。
車で併走したのは、横浜ヨット協会〜浦賀〜三崎までです。
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Q.2 『航海日誌』は、どのように更新されていたのですか?
ヨットの中から毎日書き込まれていたのですか?
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航海日誌は、毎日『いそしぎ』の2人のクルーが撮影したデジカメの画像をヨットから送ってもらい、
広報担当者が吉川艇長へ毎日電話をかけて取材する・・・という形で情報を収集し、
文章は全て広報担当者が書いていました。
(なので、2人のクルー以外に第三者が居て書いているかのような不思議な表現で書いていました。)
ほぼ毎日の移動と、各地での交流、それに加えて知らない土地での買い物・入浴・洗濯・食事・・・と、
クルーにはゆっくりと文章を書く時間がなかなか作れない状況にあった為、このような方法となりました。
デジカメで撮影した画像は毎日数十枚〜100枚程度あり、
それを吉川艇長が毎日ヨットの中でノートパソコンに取り込み、
どの写真を掲載するか選択してから、送信できるサイズに加工していたのですが、
その作業だけでもかなり時間がかかり、大原さんが眠りについた後も、
吉川艇長だけが深夜までパソコンに向かうことが多々ありました。
(大原さんは規則正しく健康的な生活でしたが、吉川艇長は睡眠不足が慢性的に続き、
その分、入港時間の調整などで余裕のある時には、お昼寝をさせてもらっていたようです。)
電話でのやりとりで、吉川艇長が話すことを毎日聞いていた大原さんは、アップされた航海日誌を見て、
「どうして、吉川さんはあれだけしか説明していないのに、伝えていないことまで
まるで本人が書いたかのように(吉川さんの思っていることがそのまま)航海日誌に
書かれているのか・・・と不思議でしょうがなかった。」とコメントしてくれています。
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Q.3 ヨットの中からのインターネットは、どのようにして接続していたのですか?
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吉川艇長が数年前まで使っていた古いノートパソコン(ハード的に数ヶ所故障したもの)が
放置されていたので、広報担当者が復活させてヨットへ持ち込みました。
インターネットが使えると、気象情報が天気図・気象衛星の画像など詳細を入手できることもあり、
大変便利です。 (携帯電話で入手できる情報でも、かなり十分だとは思いますが。)
このノートパソコンは、インターネットだけでなく、ハンディのGPSと接続して画面いっぱいに
海図(電子チャート)や航行の軌跡を表示させたりと、実際の航海にも大活躍していました。
インターネットの接続に関しては、吉川艇長の今まで使っていた携帯電話がドコモだったことと、
まだauの通信可能エリアが準備期間には限られていたこともあり、ドコモ経由での接続でした。
しかし、今年の春から更にauの通信可能エリア及び高速通信可能エリアが拡大したこともあり、
後半の航海からはauを使っての接続に切り替え、ドコモの方は通話専用に戻しました。
(接続中に電話がかかってくると切断されることもあり、携帯を2台にしたのは正解でした。)
パケット定額サービスも充実して来たところでしたので、時期的にもちょうど良かったです。
街の中であれば、PHSやH”等の定額で使い放題の通信手段もありますが、
港のある場所は街から離れているところも多く、航行中の海の上ではなおのこと、
そういったものでは通信ができないエリアがほとんどです。
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Q.4 ヨットの中でパソコンなどを使う電源はどうしていたのですか?
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ヨットには、元々大きめのバッテリーが積まれています。
最初は2つあるバッテリーを切り替えながら使用し、
長時間使用する際にはエンジンをかけるようにしていましたが、
パソコン以外にも電気製品がかなりあり、思った以上にバッテリーの消耗が早くなりました。
その為、後半の航海を始めてから新品のバッテリーを2個購入し、それをメインにした上で、
今まで使っていたバッテリー2個も予備として繋ぎ、4個のバッテリーを搭載していました。
出航前の準備段階で、100Vのコンセントを複数使えるようにしてありましたので、
ドライヤーでも何でも家電がそのまま使えます。
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Q.5 航海日誌は誰が書いているのですか?
航海日誌に出てくる"広報担当者”というのは、誰ですか?
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意図的に、まるで第三者的な書き方をしてきた航海日誌ですが、
書いていたのは広報担当者で、広報担当者というのは、吉川艇長の長女・まりこでした。
「いったい誰が書いているのですか?」という質問は、
艇長や艇長夫人のところにも数多く寄せられていたそうです。
自他共に認めるファザコンの長女なので、そういう目で航海日誌を読み返していただくと、
その見事なまでのファザコンぶりがはっきりとおわかりいただけるかと思います(笑)
Q.2の回答の最後に書いた大原さんのコメントには続きがあり、
「吉川さんのところは、一卵性親子だ。
考え方や発想がまったく同じだから、言葉にして伝える必要がない。」 とのことでした。
広報担当者は、吉川艇長ほど怖いものナシではないので、冒険はできませんし、
何事においても まだまだ足元にも及びませんが、確かに考え方や感性は似ていることが多々あると、
日常生活の中でも日々感じています。
艇長夫人からも、よく 「そっくりだ」と言われることがありますが、
それは、良い意味でない場合も多かったりします(汗)
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Q.6 艇長夫人はヨットに乗るようですが、家族で乗ることはないのですか?
また、大原さんの奥さまやご家族は乗らないのですか?
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吉川家は、昔から家族の趣味にみんながつき合う(協力する)ことが多く、
ヨットに関してもそういった傾向があります。
艇長夫人は、そこそこ若いうちに一級小型船舶もアマチュア無線も免許を取得し、
吉川艇長と共に海外などの長距離航海へ出たことも何度かあります。
(長女・次女共にアマチュア無線だけは取得したのですが、どちらも更新しませんでした。)
次女は、環日本海クルージングをした際に艇長&艇長夫人と共に乗っていますが、
広報担当者(長女)はその時、留守宅を守り、陸上本部としてがんばりました。
(その時のことは、とても不安で忘れられない思い出となっていて、
以前 他所のサイトでコラムを連載していた際に、その思い出について書いたことがあるほどです。)
その代わりに、広報担当者(長女)は高校生の時 第1回日本海横断ヨットレースに参加しています。
この時には、艇長は陸上本部だった為、家族は他に誰も乗りませんでした。
また、広報担当者(長女)は、子供の頃から吉川艇長の手伝いをすることが多く、
ヨット関係の総会用の資料のコピーやホチキス留め、(今はなき)クラブハウスの掃除など、
大して役には立たないのですが、本人的にはがんばってお手伝いしているつもりでいました。
(あまりにも毎日あれこれ忙しそうで、睡眠時間を削っているのを見ていたので、
必然的にそうなったような気がします。)
大原家では、基本的に大原さんと奥さまとはそれぞれの趣味に夢中なので、
趣味に関しては別行動ということが多いようです。
奥さまだけでなく、ご長男とお嬢さまもそれぞれに興味の対象が別にあるようで、
皆さんそれぞれの分野でご活躍中です。
しかし、大原さんの奥さまも 過去に何回かヨットに乗ったことがあります。
長い航海へは出ていませんが、佐渡まで行って来たり、柏崎の花火を沖から見たり・・・と、
ヨットの楽しみも少しずつ理解していただいているように感じます。
これからますます乗る機会が増えるのではないかと、広報担当者も期待しています。
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Q.7 航海日誌の更新で苦労したことや大変だったことは、どんな点ですか?
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行ってみないと、それぞれの寄港先でのスケジュールがわからない為、
電話取材ができる時間帯がその日によって違い、
時間が空いたら折り返し連絡をもらうことになっていても、深夜まで盛り上がったような時は、
連絡が来ないまま朝を迎えてしまったり・・・ということも度々あり、
広報担当者としては、時間が読めないことと睡眠不足がいちばん大変でした。
(待っている間に余談というものを書くようになり、待たされる時間が長くなればなるほど、
本文を書く前に出来上がる余談ばかりが増えてしまい、読む方にもご迷惑をおかけしたかと思います。)
また、毎日毎日知らない土地へ移動して、新たな出逢いがあり・・・という繰り返しのため、
その日に行った場所の地名や施設名などが覚えきれず、正確に伝えてもらえないことも多々あり、
確認の意味も込めてこちらで調べてから書いた部分もかなりありました。
(ついでなので、ぷち知識を織り込んでみたり・・・。)
そんなことをしていたので、1日分の航海日誌を更新するにも、結構時間がかかってしまいました。
吉川艇長の方としては、1日の疲れが出る時間帯に、ヨットの中で長時間パソコンに向かい、
画像の選択や送信をするのが大変だったと思います。
場所によっては、1日でとてもたくさんの方とお逢いするわけですから、お名前を覚えているのも大変。
広報担当者の電話取材に即答できずに困る場面も珍しくありませんでした。
また、インターネットに接続できなくなるトラブルが起きたり、
接続はできても、メールが送信できないといったトラブルがあったり、
いちばん青ざめたのは、ヨットの中に持ち込んだノートパソコンが起動しなくなったことでした。
改めて振り返ると、数々の困難を乗り越え、最後まで航海日誌を続けることができて良かったです。
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Q.8 ヨットの中での食事はどうしていたのですか? どんなものを食べていましたか?
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今回の航海では、大原コック長が食事の用意を担当してくれました。
時間と材料がある時には、朝から生野菜に温野菜に・・・とヘルシーなおかずを作ってくれたり、
吉川艇長の要望で雑炊を作ってもらったり。
ざるうどんを作ったり、手巻き寿司をしたこともありました。
出港時間が早い時の朝食は、出港後の航行中にパンとコーヒーと手間のかからないフルーツやトマト
といった食事が多かったようです。
時には、電子レンジで簡単に調理できるリゾットやパスタも登場していました。
海が荒れて食事をとる余裕がない時には、甘いモノが大好きな吉川艇長のおやつが
食事代わりとなったことも何度かありました。
甘いものは疲れも取ってくれるし、すぐにエネルギーにもなり、カロリーが高い分 少量で満足感があり、
そういった場面では大変有効です。
普段はお菓子などは口にしない大原さんですが、この時だけは甘いものを口にしていました。
お魚料理の際に、魚をさばくのは吉川艇長の担当。
(吉川家では、自宅にいても魚を下ろすのは昔から吉川艇長のお役目です。)
釣った魚や差し入れてもらった魚を下ろしてお刺身にしたり・・・ということが度々ありました。
でも、さばいた魚を煮付けにしたり・・・ということになると、大原コック長の出番。
食後の後片付け(洗い物など)は、毎日吉川艇長がやっていました。
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