このところ

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12月1日(土)

 とうとう11月も終わる。9月の下旬から40日あまり、やたらと日程が混んでいたが、このごろは少し落ち着いてコンピューターに向かっていられる時間が、たまにはあるようになった。

引越し
 この町へ引っ越してきて以来30有余年、親しくお付き合いさせていただき、永年お世話になっていた近所のOさんが安田の方へ引越しされた。
 好天に恵まれての引越し日和、数日前から娘婿さんの車を使ってどんどん進めていたとのこと。そこに工務店の人たちが5,6人で大型のトラックをもって来てくれたので、あまりお手伝いするほどのこともなかったが、じゃまにならない程度のお手伝いをする。
 ずっと以前に、上越の高田までI先生の引っ越し手伝いに出かけて、ぎっくり腰になって、却って迷惑を掛けてしまったことを思い出す。
 会えなくなるわけではないが、親しい人たちが遠くへ行かれるのはさびしいものである。

全肢連全国大会(9月30日)
 全国肢体不自由児者父母の会連合会全国大会が東京有楽町の東京国際フォーラムで開催され、30日、1日と泊りがけで参加した。

黒姫登山(10月17日)
 およそ25年ぶり、高柳分校の黒姫登山に付き合って、全行程を歩いてみた。学校発9時、学校帰着15時30分。
 ゆっくりマイペースで歩いたので、足の疲れはそれほどなかったが、珍しく右足の指のところがすれて痛かった。
 あまり疲れはなかったとは言うものの、急な下り坂などでは、若いころと違ってとんとんと走って下ることも出来ず、やはり、だんだん山歩きは体力的に厳しくなってくるようである。

紅葉狩り(10月25日)
 菅沢先生に案内していただいて、陽だまりのみなさんと紅葉狩り。
 柏崎→野田→石黒→多麦→室野→大厳寺キャンプ場→野々海→山伏山→松之山→松代→門出→柏崎
 出発してまもなく降りだした雨が次第に大降りとなり、とてもきれいな紅葉など望めそうもないかと思われたが、大厳寺に着くころ、ようやく小降りとなり、小止みとなってきた。
 キャンプ場あたりの紅葉はまだもう一息という感じだったが、野々海に向かって進むにつれて、だんだん見事になる風景に思わず歓声が上がったりする。
 昼ころからは、すっかり晴れ上がり、すばらしい一日であった。命の洗濯とはこんな日のことを言うのかもしれない。
 この日の写真は、あとで、HTML形式でアルバムを作った。

若葉祭(10月28日)
 高柳分校の学園祭。そばを打ってみたいとのことで、数日前からいろいろ準備をしてやってみた。
 捏ね鉢、のし板などWさんから借りてもらった。借りてもらって文句は言えないが、道具は不揃いで生徒はまるっきり初めてであることから、なかなかうまく行かなかった。
 それでも、やって来た町の人たちは、「めずらしい、うまい、うまい」と言って食べてみてくれた。
 俺たちもやってみたい、という飛び入り参加のお父さんたちのものが、まあまあの出来だった。

ぱそこん
 「全然空いている曜日がないですね」と、Kさんに言われた40日あまりが過ぎて、あれこれ続いた仕事や行事や遊びが一段落し、ほっとしたところで長岡のLAOXに出かけて、LANを組み立てるためのハブやカードを買ってきた。2、3日して、まとまった時間があった日曜日にシステム作り、やっと出来ていろいろ使いやすくなった。ただし、立ち上がりだけは大変遅くなってしまった。

 FlipAlbum 4.0 体験版、ダウンロードして使ってみた。
 これはなかなか面白い。メッセージを後回しにすれば、1時間たらずで立派なアルバムが一冊出来上がる。
 即座に本物を買うことにきめ、ダウンロードしていろいろなアルバムを作って楽しんでいる。4200円。

 つぎは CD/R-RW と考えていたので、迷わず買って来た。買ってきたまではよかったが、パソコンとは関係ない思いがけないハプニングに見舞われ、設定する時間はもちろん、いつものように歩く時間の余裕もないままに2週間も過ぎて、ようやく設定した。
 設定してみると、これも実に便利で面白い。
 いろいろなアルバムや、HPなどじゃんじゃん取り込めるので毎日のようにいたずらしている。

帰り道
 介護保険についての研修会の帰り道、私の歩き格好でも面白かったのか、学校帰りの男の子が私の右側にぴったり着いて歩調をあわせて歩きだした。  「こんにちは。何年生?」「4年生」「学校、楽しいかね?」「うん」「君の家はこの近く?」「うん、N商店の向かいで、青い柵をした駐車場の奥だよ」
 実はどれがN商店だか知らないし、青い柵の駐車場も分からない。
 5,6人の子どもたちが道端にたむろしていた。お兄ちゃんとその友達だという。
 そのお兄ちゃんたちとも、「こんにちは」と声を交わし、私の家や家までの距離のことなど話しながらしばらく歩くと、
 「あれだよ」
 見れば大きな新しい立派な家である。そして、最近出来たらしい青い柵の駐車場もある。道の反対側の昔からある小さな八百屋さん、これがN商店だったのかと納得する。  「おい、すごいお家じゃないか」「うん、うちね、お母さんが幼稚園の先生していて、余裕があるんだって」「いいなあ」「それからね、ひいおじいちゃんが昔何か事業をやって、大成功したことがあるんだって」「そう、すごいんだなあ、じゃあね、さようなら」「さようなら」
 男の子は家の方へ帰って行った。知らない大人には気をつけようというこの時代、あとで思い出しても思わず笑みが浮かぶようなある日の帰り道だった。

2001.09.22(土)

 半月ほど前に、退職者の会で計画した「能登の旅」に参加したときの、輪島から禄剛崎あたりまでの簡単なメモをインターネットに載せた。

2001年8月28日(火)

 アマリリス
 なにかのお礼ということだったと思うが、昨年、鉢に植えたアマリリスを頂いた。真紅の大きな花をつけていた。(あとで分かったことだが、「レッドライオン」という品種だった。)
 管理の仕方も知らないので、花が終わったあと追肥だけして、あとは適当に水をやっていたら、この春は2本の花茎を出し、1本につき4つの花をつけたので、ずいぶん楽しませてもらった。
 これに味をしめて?たまたま「むさし」で、処分寸前のような、大きさも種類もごちゃまぜになっていた箱の中から、200円で1個買って来て鉢に植えてみた。6月の終わりころのことである。
 やはり、管理方法を知らないので、「だめもと」とあまり期待していなかったが、2週間ほどしたら、急に目がさめたように葉が伸びだして、あれよあれよという間に大きくなり、いま、7枚の葉で背丈は70センチを超えている。
 花の名は「アップルブロッサム」というテープがかろうじて付いていた。名前どおりとすると「りんごの花」だが、果たして来年どんな花に会えるか楽しみである。
 ちなみに、頂いた方はどうなっているかというと、なんと、9枚の葉で130センチくらいの高さになっている。両方とも、我が家にとってはちょっと大きすぎるのだが、これもまた、来年どんなパフォーマンスを見せてくれるか、大事に冬を越してもらいたいものである。

2001年8月10日(金)

 ずいぶんページの更新をサボってしまった。
 この間に、父母の会のホームページを作ってアップした。
 また、陽だまりの方に、「夏、真っ盛り 柏崎の夏」と題して、7月29日の日曜日の海の様子を載せた。
 その他、分校の門出キャンプ場での様子や、H先生の退職祝いの様子などをアルバムに作ったりしてはいるのだが、じぶんのHPに載せるものは作ってない。
 また、少しこまめに書いてみようとは思うのだが……。

2001年5月22日(火)

 今年は異常に雨が少ないと思っていたが、もうひとつ、いつもの年のような五月の強風がない。 海岸を歩くには誠に有り難い限りだが、珍しいことである。いつも、メイストームの洗礼の後で浜茶屋の建築が始まるのだが、今年はすでに番神あたり、浜茶屋の組み立て材料が運び込まれ始めている。
 寿町の下の国道わきで、今年初めてのきんけいぎくの開花を見た。

2001年5月21日(月)

 むく鳥。風呂のボイラーの上に、むく鳥が巣を作っていると教えられ、ボイラーの上に鳥の巣では火災の心配があると、早速行ってみた。
 冬の季節風の直撃を緩和するために、風呂を新しくしたとき、ボイラーに囲いをつけたものだが、なるほど、ボイラーと囲いの隙間から藁や枯草などが見えている。野鳥大好き、特に小鳥の雛の可愛らしさを考えるとやりきれない思いであるが、火事の心配では致し方ない。
 手を突っ込んだが全部は取りきれない。翌日、大工さんから囲いを壊してもらう羽目になった。
 巣の材料一抱え、中からコバルト色の卵が3個出てきた。この3個はどうなったか、私は知らない。
 巣を撤去された親鳥が、近くですごく騒いでいて、ちょっと可哀そうだった、とは教えて下さった佐藤さんの話である。
 ほんとに、できれば巣立ちまで大事にしてあげたいけれども、火の危険まであってはどうにもならない。むく鳥さんよ、許してくれ。
 先日来、心の中で猫や小鳥に謝りつつ、現実には退去を求め、巣の撤去などやっている。
 良寛さんに見習えば、差し当たり巣立ちまで家の風呂を遠慮するということになろうが、一人身なら、あるいは、当分かんぽの宿を利用して……となるかも知れないが、今はとても出来ない。

2001年5月15日(火)

 猫、その後。あれ以来、物置に入らないし、子猫の姿も見えず、鳴き声も聞こえない。どこへ連れて行ったのだろう。
 相変わらず、親猫は家のまわりをよく歩いている。私を見ると、
  「なにもあんたに叱られるようなことは、してないからね……」
  「あんたなんか、恐くないからね……」
というように、わざとゆっくり歩いたりする(ように見える)。
 なんとも生意気な奴で、私をなめている(ように見える)。
 ただ、決して3メートル以内には近づかない。子猫を連れている時と違って、眼は穏やかである。
 案外、可愛がって下さいという態度表明なのかも知れない。
 こちらも、その気持ちはやまやまだが、野良猫が増えて近所迷惑になることを思うと餌を与えるわけにゆかぬ、というのが正直な気持ちなのだが……。

 ディサービスセンター。この春は転倒して怪我をした人が立て続けに3人いた。もちろん、みんな家庭でのことだが……。Iさんは上腕に大きなあざを作ったが、幸いに医者のお世話にはならなかった。Aさんは1ヶ月も左腕を肩から吊っている。Uさんは救急車で病院に運ばれたとか、これも1ヶ月になるが、まだ入院中である。
 3人とも90歳を超えている人たちである。高齢になると、転びやすくて転ぶと大きな事故になり易い。そして回復が遅く、見ていて痛々しい。バリアフリーと言い、ユニバーサルデザインと言うが、高齢者の事故につながらないような環境作りの大切さを痛感する。

2001年5月7日(月)

 「また、猫が……」というかみさんの声に起こされた。どうも役者は向こうが一枚上のようである。子猫は下の小さな隙間から縁の下に入れ、自分は落とし板の上まで掻き上がって入っているらしい。落とし板をはめてある柱に引っかき傷が無数についていた。
 それはともかく、今日もまたなんとか穏やかに退散してもらった。猫との「いたちごっこ」とは、面白いようだが洒落にもならない。近日中になんとかしよう。

2001年5月4日(金)

 大小18鉢も植えたさぎ草がやっと芽を出してきた。
今年は植え替えが遅くなったために、芽が1センチ近く伸びていて、植え替える時に折らないように大分気を遣い、さらに新芽が乾いたりしないようにと幾分深植えになったらしく、芽の出がかなり遅れて心配した。
むずかり始めた子どもを扱うときのように、毎日はらはら観察を続けていた。


《2001.05.05撮影》

 冬囲いの材料などを入れておく物置に猫が4匹も子猫を連れて入っていた。
 中で生んだのか、外で生んで中へ連れて入ったものかは分からない。ただ、どのようにして入ったかは大きな謎である。入り口のドアにはカギはないが、簡単な取っ手はついているので、猫がそれをはずして中に入り、中でそれを閉めることは考えられない。一つだけ考えられるのは地面から2メートル余りの高さまで落とし板をはめたうえに10センチほど隙間がある。外からそこまで飛びついて入ったとすればすごいものである。
 それはともかく、猫さんに子育ての場所を提供するほどの余裕も気持ちもないので、退去願うことにした。よく玄関わきの水道のところに水を飲みに来ている猫で、顔は知っていたし向こうもこちらが食べ物は呉れないが決していじめない人間だと知っているので、ここいちばん、説得を試みた。どうしてもここに居てもらうわけには行かないから、出て行くんだよと話した。4匹の子猫を抱えた母猫は、警戒して威嚇するようなしぐさも見えたが、ドアを開けてそのままにして来たら、しばらくして1匹ずつくわえて引越しをして行った。可哀想な気はするのだがやむを得ない。猫よ、勘弁してくれ、である。

2001年4月15日(日)

 今年の春は比較的好天の日が多い。
 昨日の夕方、一時的にくずれたが、今朝はまたすっかり晴れて、さらに、先日来の黄砂も洗い流されたようで、空気が澄んでいた。
 午前中に、公園から米山台の方まで歩いてみた。今年の公園の桜は、なんとも蕾の数が少なくて寂しい。よい天気に誘われてかなりの花見客が出ていたが、なにか花見という風景でない。
 どこの桜もみんなそうかというと、そうとも言えない。米山台の公園の若い桜は見事な花をつけていた。
 午後、久しぶりに、ホームページを少しいじった。

2001年2月27日(火)



 素晴らしい天気の一日だった。
 朝9時過ぎに、デーサービスセンターへ行くときに、ふと米山を見ると、白い雪に覆われた米山が朝日に輝いていた。
カメラを取りに家へ戻ろうかと、一瞬迷ったが、春だものこんな機会はまだあるだろうと、そのままセンターへ行った。
 正午少し前に帰宅し、まだ撮れそうだったので昼食前の数分間、歩いていって来た。
デーサービスの今日の利用者は17人、ここ2年ほどの間で最も小人数だった。 なんでも、よく話をするSさんの話によると、たまたま大勢の人がショートステイに行っているとのことだった。
 それにしても、いつも顔を見せているMさんや高齢のUさんが見えないのは気になる。
 今日は、長岡看護福祉専門学校の学生さんが3人、実習に来ていた。

10月24日(火)
《写真は10月24日撮影》


 午前中、デーサービスセンターでお手伝い。
 今日はボイラーの操作になにか間違いでもあったか、入浴の開始が遅れて、午後入浴となった人が沢山いた。
 そして、午前中に誕生日が今月の人の誕生会。該当者はAさんとYさん。88歳と79歳。
 素晴らしく晴れ上がり、歩きに出かけようとしたが、ふと思い立って車で出かけ、谷根の奥でウオーキングを兼ねて歩いてみた。
 帰りに御野立公園で夕陽を見て帰って来た。



8月10日(木)
《写真は8月9日撮影》


 ここ10日間ほどの動きをメモしてみる。夏休みのほうが忙しい、というのが実感である。
8月1日(火) 午前中デーサービス。いつも来ているMさんが見えず、聞いたら、今朝急に具合が悪くなってお休みとのことだった。大事なければ良いが。
 午後から夜にかけて、長岡のM先生がなくなられたとのことで、E先生ほか何人かの皆さんと仏様参りに行って来た。

8月2日(水) 午前中パソコン教室アシスタント。終わってその足でシルバーセンターへ行き、佐藤さんから編集を依頼された原稿を持ち帰り、午後はその原稿やら「文芸ポスト」の短歌などの入力をする。

8月3日(木) 先月作ったブリッジの入れ歯、どうも具合が悪くてうまく使えなかったものを、ようやくきちんと直してもらった。今度こそばっちり、という感じである。正月から延々と続いた歯医者通いがやっと終わった。

8月4日(金) 午前中パソコン教室アシスタント。お手伝いしているUさんから、付きっ切りでのアシスタントの礼を言われた。

8月5日(土) 暑さにかまけて先延ばしにしていた庭木の剪定を、少し涼しさが感じられるようになったので、午後半日がんばった。やはりまだ暑かった。
 「文芸ポスト」の入力がやっと終わった。6月初めから少しずつ入力してきたもので、とにかく一段落してしてほっとした。あとは、これを前沢先生に回して、校正してもらってからインターネットに載せられるように作れば私の仕事は終わる。。

8月6日(日) H先生と、そば作りに欠かせないヤマゴボウの葉を採りに行って来た。毎年同じところで採っていると、いくら弱らせないようにと気を遣っていても、やはりだんだん小さくなる。また、今年は、「かや」がすごく元気で、その陰に隠れてしまったヤマゴボウを探すのは大変な作業だった。
戻ってシャワーを使ったあと、二人で「一翔」までそばを食べに出かけた。

8月7日(月) パソコン教室アシスタント。
 午後、庭木の剪定。

8月8日(火) 午前中デーサービス。先週いなかったMさんは、今日は元気だった。休んだけれども、そんなに具合が悪かったわけではないような話だった。
 夜、Tさん、Uさんと納涼会。

8月9日(水) パソコン教室アシスタント。

8月10日(木) 午前中、シルバー20周年記念誌作成の仕事。

以下、予定だが、
8月11日(金) パソコン教室アシスタント
8月12日(土) 直江津工業高校第2回卒業生同級会(直江津)
8月13日(日)墓参り
6月17日(土)

 高柳中学卒業50周年、65歳の会が終わった。
 高柳でいろいろお世話してくれた人たちに感謝の気持ちでいっぱいである。
 今回も沢山の懐かしい同級生諸君に会うことが出来た。
 また5年後に会いましょうと云って別れたが、さて、5年後はどうなっていることだろう。

 さつきがいっぱい花をつけた。


 じょんのび村の同級会の後、25日の日曜日はベルナールで高柳町人会。高柳町から樋口町長さん、柏崎市からは市長代理で安達助役さんが出席された。
 29日から1日まで3日間、長良川の鵜飼い見学。往きは長野経由で帰りは北陸道を走ってきた。
 最初の日は雨となり、恵那峡SAで昼食のころはかなりの降りで、果たして鵜飼いができるかどうか、心配した。商売だからかなりの悪条件でも実施するだろうが、危険はないだろうか等々。ずっと降っていたが、羽島に着く頃になったら雨は上がり、かんぽの宿にも中止の連絡は来ていないとのこと。
 長良川沿いにタクシーで往復して、無事鵜飼いを見学できた。
 30日。金華山にロープウエイで登ってリス村をみる。手乗りリスが可愛い。
 私だけ岐阜城を見に行ってきた。かなりの坂道で、健脚でないとちょっと大変である。
 午後は、ぐっと現代的に、木曾三川公園に行ってみた。木曾川、長良川、揖斐川の三川が河口近くで並ぶ様子ははじめて目にする光景だった。
7月1日。関が原を見学して帰宅。
 2〜3日は採点。4日、シルバーの二十周年記念誌作り、午前中。5日、学校。6日、先日作ってもらった入れ歯の具合を直してもらう。
 車庫の脇で今年初めての「つゆくさ」の花を見た。
 7日、八坂神社の脇を通ったとき、今年初めてのせみの鳴き声を聞いた。いよいよ夏本番であろうか。


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