年の暮れ
2004.12.30記
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 11月6日(土) 40年ほど前に創立当初勤務した直江津工業高校の閉校式に出席。懐かしい人たちにたくさん会うことができて嬉しかったが、時の流れとはいえ、閉校はさびしいものである。
 夕方の「直工を語る会」の締めくくりに皆で校歌を歌ったが涙をこらえるのに精一杯だった。そして、たまたま話相手もいなかったので、帰りの電車では去来する様々な思い出を噛み締めながら帰ってきた。
 
 11月7日(日) まゆちゃん(皆川真優ちゃん)が地震から2週間ぶりに大きな岩石につぶされた自動車の中から遺体で自宅に帰ってきた。
 「まゆが、2週間ぶりに家に帰ってきました。今度は、まゆを天国に送ってやります。有り難うございました」と話したお父さんの言葉が悲しい。

 2月の検査で前立腺ガンが発見された。7月初めで治療が終了。いまは、治療の副産物で相変わらず少々痛めつけられているが、ガンの方は一応消滅状態で体調は極めて良好である。
 ただし、体力の衰えを痛感するときがあるのは年齢のせいもあろうか。
 
 7月の台風による豪雨被害。テレビを見て、どこかで避難訓練をしていると勘違いした。降るには降ったがそんな被害が出るほどとは実感していなかった。幼児をしっかりと抱えて走る映像が本当の避難の様子だったことを知ってびっくり仰天した。どうも私は鈍感らしい。家の近くで国道の陥没災害が起きて皆で騒いでいたらしいのだが、これもテレビで初めて知った。この豪雨では三条のTさん一家が床上浸水の被害に遭われた。

 新潟のあと、福井、愛媛、兵庫など台風による被害が相次いだ。大きな樹が強風で倒れる映像もあった。高波が防波堤を乗り越えて民家を叩き潰す様子も見た。そして、10月の舞鶴でのバスの屋根に避難した人たちの映像にはらはらさせられた。 ところが、実態はもっともっと深刻なものだった。ずっと後になってからだが、被災者の手記を車の中で聞いた。
 「朝方になって、水位が下がってバスの屋根が水の上に出た。助かった!と思った。」
 私たちは、水に埋まったバスの上で立ったまま一夜を明かした、真っ暗闇の中の映像は見ていないのであった。

 そのわずか二日後、新潟県中越地震が起きた。 新潟地震以来の大きな地震だった。予想はもちろんしていなかったが、私の生きている間に自分自身および自宅を含め、比較的身近なところで想像を絶するような大地震が起きないだろうか、もし起きたらどんな事態になるだろうなどと、ぼんやり考えることはあった。それで、地震が起きたときは本当に家が潰れないだろうかと心配し、恐怖に襲われたが、おまり驚きはしなかった。「やはり来たか!」という妙な感慨があった。

 漠然とした不安も手伝ったか、家には単1電池の懐中電灯がいくつもあるのに、ムサシでたまたま見つけた単3電池を入れる小さな懐中電灯を二つも買い、さらにその後もおばあさんの枕元用にと、もう1個買った。そんなこともあったので、ぐらぐらっと来て電灯がぶつんと消え、真っ暗になったときも即座に懐中電灯を使うことができた。被害は大きな被害に遭遇された皆さんには申し訳ないほど全くなかった。

 12月20日(月) 眼鏡の左のレンズがはずれた。ほとんど何をしたわけでもないのに甘くなっていたらしい。早速買った眼鏡屋さんへ直行しきちんと入れ直してもらう。
 帰り道、出かけるときは降って来たかなと言うくらいだった雨が大降りとなり風も強くなった。その氷雨の中、傘なしで歩いて帰る小学生がいた。2、3年生くらいの男の子で、他に二人男の子がいたが、その二人は雨風の中なんとか傘をさしている。ぎおんまつりで写真を撮って上げたことがあるので、同じ町内の子どもであることは分かっていたが、おそらく子どもの方は私など分かっていないはず、乗せてやりたかったが「知らない人の車に乗るな」という厳しい指導がある。嫌な世相を恨みつつ、声もかけずに帰ってきた。
 風邪を引かなかっただろうか、あれで良かったのだろうかといつまでも気になっている。

 12月26日(日) 夕方、駅まで1時間ほどウォーキングしてきた。出かけるときはかなり安定した空模様で明るかったので傘を持たなかったら、後半氷雨にやられた。ただし、一応防水のヤッケや帽子はあったので、頭からずぶ濡れは免れた。それにしてもこの時期、油断大敵。
 スマトラ島沖で大きな地震があった。M8.9とか、インド洋を囲む国々で津波による死者多数、6千人とも1万人とも言われている。被害状況がはっきりしてくるにつれて死者の数も増えるものと思われる。

 12月28日(火) そば粉が届いた。それで、6,7回分打てるだけのつなぎを作った。どうやら今年も元気でそばが打てるようで、有り難いことだ。

 12月30日(木) スマトラ島沖の地震による津波で命を失った人の数は7万8千人を超えたという。スリランカで津波に遭遇した日本人旅行者の死者は8人確認されたという。
 今年を表す言葉は「災」だそうである。確かに、繰り返しになるが台風による災害、地震災害、自分自身の病気治療、いろいろ大変な年だった。新しい年がみんな健康で、平和な日々となることを祈るばかりである。。
 昨日と今日でそばを7回打った。腰が疲れた。明日は大晦日。

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