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箕輪遺跡 「三鳴駅」の可能性示す木簡

 市内枇杷島地内の箕輪遺跡で発掘調査を進めている県埋蔵文化財調査事業団が6日午後、奈良から平安期にかけて都と地方を結んだ北陸道の「駅家(うまや)」があったことを示す木簡が同遺跡から出土したと発表した。調査は国道8号バイパス建設工事に伴い、建設省と県教育委員会の委託を受けて行われているもので、駅の存在を示す文字資料としては、和島村八幡林遺跡から出土した墨書土器「大家駅」に次いで県内2例目。このほかに、馬具の鐙(あぶみ)が県内で初めて出土しており、同事業団では延喜式(律令の施行細則)にある「三嶋駅」との関連性などを探る上で貴重な発見とした。9日には、現地で説明会が予定されている。

 箕輪遺跡は柏崎平野南部に広がる段丘の縁に沿った沖積地に位置する。調査範囲は約4万1000平メートル。平成8年度から発掘調査を開始し、3年間で約1万9000平方メートルを終了した。今年度は約6千平方メートルの水田地帯で作業を進め、これまでに調査区域を南北に貫くように幅約3メートル、深さ約1.5メートルの溝を検出。土器の特徴から、8世紀後半から9世紀前半(奈良時代後半―平安時代初め)に機能した溝と推定されるとした。

 溝からは多数の遺物が出土し、この中に3点の木簡が見つかった。木簡は当時の役人が文書を記した書簡と見られ、うち1点には「駅家村」と書かれていた。当時、都と越後を結んだ北陸道には約16キロごとに「駅家」が置かれ、「三嶋駅」には5頭の馬がいたと記録されている。出土した木簡の文面は「駅家村へ行くように」との命令で、「駅家村」で目的を果たし、廃棄されたと考えられる。

 また、木簡と合わせ、駅存在の可能性を補強する鐙はつま先を入れる壷のような形のものが付いた木製黒漆塗り。全国ではこれまでに20数例確認されているが、漆塗りは数例ほど。ほぼ完全な形は全国で初めてという。これらの遺物から、同事業団では「この遺跡の付近に三嶋駅が存在していた可能性が強まった。同時に、北陸道もこの付近を通過していた可能性も出てきた」としている。

 今回の調査ではこのほか、当時の役人がベルト飾りに使った銅製黒漆塗りの銅か(か)、ろくろで挽いた椀(わん)や盤(ばん)などの木製品、煮炊きや食器に使った土師器(はじき)、須恵器(すえき)などもたくさん出土して、当時の生活全般を知る手がかりになりそうだ。

 現地説明会は9日午前10時、午後1時半からそれぞれ1時間半ずつ。問い合わせは同調査事務所(電話32―2071)へ。

(1999/10/ 7)

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