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閉校40年の鏡里小、母校懐かしみ記念碑建立

 1962年の田尻地区小学校統合で閉校となった市内軽井川、鏡里小の跡地にこのほど記念碑が建てられ、14日午前11時から除幕式が行われる。「我らここに学びし」という碑文は、卒業生の北原保雄・筑波大学学長(65)が筆をふるった。

 鏡里小は1874年、枇杷島小附属軽井川校として開校した。1892年に鏡里小と改称し、4小学校の統合と田尻小の創立で約90年の校史に幕を閉じた。卒業生は明治の前半を含めると1,700人に上るとされ、小規模ながら勉強に運動にと輝かしい伝統を残した。最後の卒業生も50歳を超え、多くが高齢となった。しかし、「天狗(てんぐ)松」がシンボルだった母校への思いは強く、記念碑建立は長年の夢だった。

 跡地を取得した会社の協力で敷地一角の校門跡地に設置場所が決まり、健在の卒業生約460人に5月から募金を呼び掛けたところ、8割以上の384人から約130万円が寄せられた。石碑はだ円形の千草石で幅約1.3メートル、高さ約0.8メートル。裏側に学校の沿革を刻み、9月半ばに現地に据え付けた。

 碑文は1948年度の卒業生である北原学長が胸に温めてきた言葉で、自ら筆をふるった。除幕式にも駆け付ける。北原学長は「卒業した皆の気持ちとして、あそこで勉強したという思いを短い言葉に結晶させた」と言う。

 実兄で実行委事務局の市内軽井川、北原信範さん(76)は「母校をいつくしむ気持ちを今の子供たちにも伝えたい。閉校から40年を経て全国からの浄財で建てた記念碑。ひと味もふた味も深い思いがある」と話している。

(2001/10/11)

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