な が ら が わ
平成12年6月29日〜7月1日

 6月29日(木)
 距離もしっかり調べないまま、かなり遠いから早めに出かけようと、8時頃に家を出て、スタンドに寄ってスタートする。
 朝のうち大丈夫かと思った天候だが、梓川SAで小休止したあたりから雨が落ちてきた。恵那峡SAで昼食をとったが、その頃からは本降りとなる。予約していた鵜飼いが見られるかどうか、向こう様は商売だから、多少の増水くらいでは実施するだろうが、大丈夫だろうか等々、いろいろ心配した。

 


《羽島かんぽの宿周辺の田園風景》

 小牧を過ぎて木曽川を渡ったとき、木曽川の水は茶色に濁っていた。やっぱりだめかも、と思いながら羽島に近づいたら、雨は上がり、降った様子もない。



《かんぽの宿の隣にある大賀ハス園》

 羽島のICで道を間違えて、かんぽの宿とは反対方向に走ったにもかかわらず、早々と宿に着いてしまった。
 フロントに聞いたが、やはり、鵜飼い中止の連絡は入っていないとのこと。知らない土地を夕方から夜にかけて運転するのは気が進まないので、タクシーを呼んでもらって鵜飼い見物に出かけることにする。長良川の左岸を川上に向かって走りながら、運転手からいろいろ説明が聞けて、なかなか良かった。新幹線岐阜羽島駅のこと、秀吉の墨俣城のこと、鵜飼いのこと等々。



《長良川の河原、右が金華山》

 長良川の川原で、鵜匠が説明していた。もっと早く行けば良かったのに、終わり間際に行ったので、ほとんど話は聞くことが出来なかった。
 しかし、ほんのちょっとではあったが、「鵜を運ぶのに直径60センチ、高さ70センチくらいの竹かごに2羽ずつ入れて運ぶのだが、必ず仲の良いものを入れないと喧嘩をしてしまう」、「鵜匠になる第一歩は、鵜の顔を覚えること」など、なかなかいい話を聞くことが出来た。


 我々の船の船長さんは、高木さんとかいう人だったが、まことに話の面白い人だった。

 「陸で目がいいのは鷹、水中で目がいいのは鵜、それが獲物を狙うことから《鵜の目、鷹の目》と言う。鵜は水中で魚を真横に捕まえるが、必ず首を上げてくわえなおし、頭から飲み込む。尻尾からだとツッかえる。消化も味わいもせずに頭から飲み込む、ここから《鵜飲み》と言う言葉が生まれた。
 鵜は鮎だけでなく、時には鰻なども捕まえることがある。ところが、この鰻というやつは、鵜が首を上げて頭からと思ってもなかなか思うように出来ない。鵜が難儀するので《うなんぎ》…《うなぎ》という名前がついた、という説もあるとかないとか、これはあまり《鵜飲み》にしない方が良いようです………。」


 長良川は木曽川と違って、茶色に濁っているようなことはなかったが、やはりかなり増水していて、鵜が鮎を捕れるような状況ではなかった。お客さんの中には文句を言う人もいるらしく、事務所の人も、運転手までもが気にしていたが、こちらは、鵜飼いとはこのようなものである、を見学すればよいので、鮎を捉える場面など初めから期待していなかった。


 鵜飼い見学のあと、ふたたびタクシーで長良川の土手を走って帰る。川向こうにライトアップしている墨俣城が見えたが、こんなところだったのかといささか驚きを禁じ得なかった。
 宿に帰ったあと、入浴などで寝るのが遅くなった。

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