しみわたり

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2003.1.22記


 雪の越後も二月の終わりから三月に入ると、たまに降る雪はあっても、これから冬に向かうという切迫した感じはない。いわゆる「冬至10日前」という日の暮れの早いころから比べれば、ずいぶん日足も延びて、春の明るさ、暖かさが感じられ、これからやって来る本格的な春への期待と喜びがそこここに見えてくる。

 このころになると、降り積もった雪もすっかり落ち着いてきて(これを雪国の人たちは「しただまる」というようだ)、晴れ上がった日の朝は、放射冷却現象で雪面はどこもかしこもかちんかちんに凍結する。かんじきなどなくてもどこまでも歩いて行ける。これを「しみわたり」と言った。
 春先の、子どもたちの大きな喜びの一つだった。この「しみわたり」での思い出を少々記してみよう。適当な写真がないので、50数年ぶりに絵を描いた。やまどりは図鑑にあったものを見て描いた。幼稚な絵だが、まあ良しとする。

 それにしても、こんな昔の子どものころのことを書くようではそろそろお終いかなと、笑われるかも知れない。

その1 やまどり

 間もなく中学卒業というころ。
   T君やS君たちと数人で「しみわたり」で山の方へ遊びに出かけた。
 空は紺碧、残雪は白く目に眩しい。ところどころなだれが落ちたようなところには赤土が見えている。後になり先になり、凛とした空気の中にも暖かさがあり、目的もないままただ歩き回っていた。春を喜ぶ子狐たち、いや、生意気盛りで何をやっても楽しくてたまらないといった若い狐たち、といったところであろうか。

 ふと眼に入ったのが崩れ落ちた雪の上に刺さっている一本の鳥の尾羽。これを胸か帽子にでもつけたらだんぜんカッコいいに違いない。軽く引っ張ったら、抜けRない。羽根ペンが軽く雪に刺さっている感じではないのだ。
「?」
急に真剣になった。周りの堅い雪をがりがりとほじくったりしてまた引っ張った。
なんと!
やまどりが一羽ずるずるっと出てきた。どうやらなだれの下になったらしい。腐っている様子はまったくない。
 その日の戦利品である。意気揚揚と持ち帰った。
帰ってから捌いてみたら、素のうの中はまだ青草がそのままだった。やはり、なだれなどで出始めた土を求め、そこに早春の緑の新芽を求めていてなだれに遭ったのだ。

 おいしいもののほとんどなかった時代、アブラののったやまどりはおいしかった。T君、S君、M君たちと夕飯をともにした。これがちょうど中学校卒業の記念パーティになった。
 それから間もなく、集団就職で郷里を後にした者、郷里に残った者と、ばらばらな人生を歩み始めた。

その2  こい

 小学校5年生か6年生のころ。
   「しみわたり」のできる日は嬉しい。学校へ行くにも、普通の道路をはずれて、わざわざ雪で覆われた田んぼの上を遠回りして行ったことも一度や二度でない。

 日曜日だっただろうか。家の脇の鯖石川の河原で遊んでいて、あちこちに出来ている雪のない水たまりの一つに、1匹の大きなこいがじっとしているのをを見つけた。実は、冬の間じゅう、深い雪に阻まれて近づけなかったところを、こんな「しみわたり」が出来るようになって見回ると、珍しい拾い物をすることがあるのを知っていて、子狐みたいにきょろきょろ歩き回っていたのだ。
 さあ、子狐がじっと見ているだけで終るはずがない。
 家に飛んで帰り、たもを持ってきた。こいを驚かさないように、そっと近づいたら簡単に捕まった。40センチくらいのおおきな食用こいだった。
 たもに入った時はひと暴れしたが、大きなたらいに入れたらすぐにおとなしくなり、悠然と呼吸をしているのに驚いたものだった。

 いたずら子狐に見つかったこいにとっては災難だったが、思いがけない天からのいただきものをした「しみわたり」だった。

その3 そり遊び

 晴れた!今日も「しみわたり」ができる!
 学校が休みでなくても、早く出かければ始業まで学校周辺で遊べる。小学校6年生の時だったかと思う。

 誰だったかは覚えていないが、学校まで大きなそりを引っ張ってきた。「そり引き」用のそりで、滑走面に厚い鉄板が貼ってありぴかぴかに光っている。荷物運搬用だから頑丈に作られていて、およそ子どもが遊びに使うような代物ではない。扱い方によっては大変な凶器となるようなものである。このそりで始業まで遊ぼうと、数人で学校近くの「おおばやし(大林)」と呼んでいる高い畑の上まで引っ張り上げた。

 5、6人が縦一列にそりに跨って、「いざ、滑降!」とばかり学校の方向目指して滑り出した。雪面はがんがんに凍結しており、さらに凹凸だらけである。
滑り出したとたんに、弾丸のようなスピードが出て、そりはひっくり返ってすっ飛び、みんなもばらばらに雪面に転がった。

 さいわい医者を必要とするような骨折や大きな切り傷はなかったが、みんなそれぞれ擦り傷を負った。私は顔と腕を擦りむいた。
 学校へ戻ったら
「ばかものどもが!」
と叱られた。
 赤チンキで応急処置をしたくらいで、授業に差し支えはなかったが、赤チンキをべたべた塗られた友だちの顔が痛々しいと言うより面白かった。もちろん、ひりひりする赤チンキの自分の顔は見えなかったが、多分滑稽なものだったに違いない。

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