大洲のむかし |
中世の大洲
歴史上で柏崎地方の地名が登場する二点の本があるそうです。一点は1186年の『吾妻鏡』です。
この本の中には、佐橋(鯖石)荘・宇河(鵜川)荘・比角荘ほか二つ、五つの荘の名前が出てくるそうです。
もう一点は『日光房御書』という本で、この中には、佐渡配流を赦されて寺泊に渡ろうとした日蓮上人が嵐に遭って「かしはざき」に流れ着いたと書かれているそうです。
当時の柏崎は、金を運び出す港町として栄えていたようです。
当時の柏崎港は、鵜川の河口内にあったようですが、川によって運ばれてくる土や砂で川底が変化するのを避けたり、海の波を避けたりするために、1キロメートルくらいさかのぼった鏡が池の湖畔(現在の枇杷島地区・柳橋付近)に移ったようです。