大洲のむかし(9) |
大正期の大洲
大正に入ると、海岸の整備も始まりました。大正6年(1917年)、下宿村の番神堂以北の海岸に、きちんとした港を造ろうという動きが出てきて、県に意見書が出されたのです。それにより、大正11年(1922年)、26万円の費用で港の工事が始まり、現在のような港のもとが出来たのでした。
大正13年(1924年)8月10日より、大洲村と下宿村が合併し、刈羽郡から柏崎町に編入したのです。大正15年の5月には、中浜漁業組合と下宿漁業組合も合併し、柏崎漁業組合を設立して柏崎の漁業をますます盛んにしました。