レコード番号:1

内容

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1983年、日本電気のPC-9801用日本語ワードプロセッサ、その名も「日本語ワードプロセッサ」を発売。社内でのコードネームは「竹」だった。この時期の日本語ワープロソフトは、各社のソフトウェア名称がそのまま「日本語ワードプロセッサ」として発売されており、「管理工学の日本語ワードプロセッサ」などと呼ぶことが多かった。同年末「日本語ワードプロセッサ」をバージョンアップし、新たに「松」として発売される。廉価版として「梅」(価格6万8000円)も同時に発売。「松」は価格が12万8000円(8インチフロッピーディスク版)と高価にも関わらず人気を博した。評価された主な理由として、初代PC-9801の128KBというメインメモリしか実装していないなど貧弱な環境にも関わらず松は印刷スプーリング機能などを備えるなどの利用性の良さと、軽快な動作が挙げられる。1970年代にかけて日本語組版システムの構築を手がけノウハウが蓄積されていた管理工学研究所により開発されたこのソフトは、128KBのメモリを最大限利用するため半分の64KBを文書のデータエリアとして、残りをOS (N88-DISK BASIC(86)) などプログラム本体で使う設計や、開発環境として、CP/M-86向けのアセンブリ言語を利用してプログラムが作成されており、当時としては非常に軽快な動作を実現し、好評を博した。管理工学研究所の開発者も、「とにかく小気味良く動く」ことを目的に開発しており、同社がビジネスシヨウで「松」のデモンストレーションを行った際、あまりの高速性にPC-9801を開発した日本電気からも驚かれたというエピソードが残っている。発売後半年経った頃に最盛期を迎え、PC-9801の出荷台数の25%に相当するほど導入。「松」の発売前は「ソフト情報」等の雑誌の順位表では日本コンピュータ設計の「漢神」がトップだったが、「松」はあっという間にトップを抜き去った。なお「梅」は管理工学研究所の予想に反し売れず、ラインアップから早々に消える。なお、MS-DOS上で動作するソフトウェアではなく、同社が内部構造について熟知していたN88-DISK BASIC(86)の上で動くソフトウェアであった。日本電気が初代PC-9801を開発する際、N88-BASIC(86)の移植について、マイクロソフトの協力が得られず、管理工学研究所の協力を得て移植が行われたことによる。国分芳宏らがメインとなってかな漢字変換部分(その後の「松茸」に相当する部分)などが開発された。当時のソフトウェアの多くと同様コピープロテクトが掛けられていたが、特に本製品は強力なコピープロテクトがかけられていた。コピープロテクトの是非をめぐり「ソフト情報」誌で議論が交わされた。「ソフト情報」誌での管理工学研究所の反論は、「ソフトウェアは壊れやすく、壊れたらその間業務が停止する。だからバックアップをというが、ハードウェアは大丈夫なのか。ソフトウェアだけバックアップを付けるという主張は、ソフトウェア軽視であり、本当に大事な業務なら、ハードウェアもバックアップ機器をもう1セット用意して運用するもの。それほど大事な業務であればソフトをもう1本買うことをなぜ惜しむのか。こちらからは直ちに代替品を送る体制がある。それではなぜダメなのか。ハードウェアが壊れたときと同等の保守体制を敷いても、なぜソフトウェアだけは、こういう要求をされるのかわからない」というもので、これを批判する者も多かった[2]。後述する「新松」以降はコピープロテクトは施されなかった。1984年頃、アスキーマイクロソフトに出向していた古川享がMS-DOS対応の「松」を開発するよう管理工学研究所に依頼したものの当初は断っている。MS-DOSを利用すると、OSのメモリ占有量がBASIC ROMを利用するN88-DISK BASIC(86)に比べておおよそ50?60KB多くなる等の事情があった[3]。後述する「松85」でMS-DOSへ対応することになる。1984年「松」が日経最優秀賞を受賞。 [#wf0db627]

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Last-modified: 2022-06-03 (金) 19:20:46 by pukiwiki 1.5.4