レコード番号:4

新松・n松

内容

1987年、一から再設計した「新松」を発売。このバージョンから、ユーザーから不評だったコピープロテクトを廃止、操作体系が見直されカットアンドペーストを基本とした。マウスにも対応した。スクロールは、マウスを前後へドラッグすることにより実現可能で、当時のMacintoshの操作と同様であった。アセンブリ言語で記述する開発環境は変わっておらず[4]、ライバルの「一太郎」に比べて軽く動作するソフトになった[4](なお、同梱のグラフィックソフト「鶴」等はC言語で開発)。また、引き続き文字修飾などの見栄えよりも長大な文書を効率よく入力することを目指した開発がされており、他のワープロソフト比べエディタとしての機能を充実、カスタマイズ機能もキーアサインや画面上のインターフェースの色などが好みに合わせ変更できるようになった。また、マクロや「索引作成」機能も実装された(1987年当時の他社製ワープロソフトでは実装しているものは少ない)。さらに、縮小文字(8ドット)による編集モードも追加された。「軽さ」について(要求メインメモリは512KB)、中村正三郎は「『松』FESです」(エディタの「MIFES」のもじり)と説明した。同年(1987年)7月に発売されたジャストシステムの「一太郎 Ver.3」は、要求メインメモリが640KBであり、後発となった「新松」の方が要求メインメモリは少ない。テキスト画面を用いない高精細モードは、他社のワープロソフトに比べ高速であった。PC-9800シリーズの白黒グラフィックモードで動作させていたことが大きい。見た目がカラーになるのは白黒グラフィックにテキスト属性(色など)を加えるとカラーになるPC-9800シリーズの機能に拠っている (BIOS(int 18h))。白黒グラフィックモードが削除(BIOS(int 18h)の機能を一部削除)されたPC-9821Xa/WやRaシリーズでは意図した表示にならない。カスタマイズ機能は表のメニューに出ておらず、CONFIG.K3というファイルで機能番号などを記述する仕様である。サンプルファイル(SAMPLE.K3ファイル)は用意されているが、これを読み理解してから作成する必要があった。カスタマイズファイルについては通常「新松」起動時にCONFIG.K3ファイルを読み、実行時のオプションで別ファイルを指定することも可能であった。なお、CONFIG.K3ファイルでマクロの記述も可能である。カスタマイズ機能は日経MIXのword/matu会議室の100番目の書き込み「ユーザーに自由を!」というメッセージが発端になって作られた。このメッセージは、エディタにカスタマイズ機能を備えたものが多いのに対しワープロソフトは自由度に欠ける」ことを訴えたもので、開発者たちも共感したがサポートのことを考えると躊躇した。しかし「清水の舞台から飛び降りる決心」でカスタマイズ機能を整備したという(『The BASIC』1988年4月号)。その後わずか数日でカスタマイズ機能の実装が完了したという。日本語入力システムは「松茸V2」として添付されたが[4]、こちらも辞書の基本登録単語も一部を除けば削除・変更できるなど自由度が高かった。このため、作家や翻訳家などの間で本製品を熱心に支持する例が見られた。β版をパソコン通信「日経MIX」などを通じて希望者に無償配布しバグや使用感などをフィードバックするという試みを始めた。当時の大手ソフトウェアベンダとしては珍しかった。新松以降の「松」や「桐」などでも同様に開発途上版を配布し、フィードバックするようになった。当時のワープロソフトは自社の日本語入力システム決めうちで設計されていたが「新松」は「松茸」だけでなく他社のATOKやVJE等も利用できるよう改められている[4]。ただし、多くの機能は「松茸」に密接に依存しているため「松茸」以外の日本語入力システムでは使い勝手が悪かった。「新松」は管理工学研究所にしては不具合が多く、正規のマニュアルも発売日までに間に合わず経典のような簡略化したマニュアルが添付された。「お経マニュアル」と呼称されたが、後に登録ユーザーには正規のマニュアルや修正版のディスク「新松パワーアップディスク」が配布された。このディスクの中にはカスタマイズファイルの例が入ったフロッピィディスクが配布されWordStar風、emacs風、MIFES風、一太郎風(『松太郎』と呼称)等にすることができた。「新松」から、使用しているパソコン・プリンタの文字コードについて、JIS78/83を自動判定し、印刷時には自動で置き換えるようになっている。例えばPC-9800シリーズはJIS78でありEPSONの98互換機はJIS83をもとに拡張・置換したものになっていた(EPSON互換機は後年文字コードの切り替えが可能となった)。また、プリンタは各社により採用したコードがまちまちであった。この「新松」からビットマップ画像を処理するグラフィックソフト「鶴」が同梱されるようになる。ユーザインターフェイスは、MacintoshのMacPaintに近い。Macintoshにハマった開発者によるものとされる。小売店で配布されていたパンフレットには、山東京伝の黄表紙をモチーフにデザインされていたが、「鶴」によりグラフィックが扱えることをアピールしたものとなっている。ユーティリティディスクには、MS-DOS版N88-BASIC(86)から「松茸」を制御するサンプルプログラムが公開されていた(当時のMS-DOS版N88-BASIC(86)は、NEC製の日本語入力システムしかサポートしていなかった)1988年にはメガソフトから「新松」をパワーアップする「新松ターボキット」が発売。また「新松」が日経新製品賞を受賞する。1989年、「98NOTE」が発売されたため「新松」のカスタマイズ機能によりノートパソコンの液晶でも視認性を高めた「n松」を98NOTE発売日に同時発売(3万8000円)。初回版キャンペーンとして、名刺管理ソフトの「桐アドレス」「ゴルフゲーム」が付属した。なお、「鶴」・ファイル管理・辞書管理・ロゴ編集など補助機能の一部は「新松」から削除されており、「n松システムUPキット」として別売(2万円)された。PC-9800シリーズと互換性のないPC-98LT用に移植した「新松LT」も発売されていた。 [#wf0db627]

編集


コメントはありません。 Comments/個別ページ/table4/data1/4


トップ   差分 履歴 リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2022-06-03 (金) 19:20:46 by pukiwiki 1.5.4