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朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致され、柏崎に帰郷した蓮池薫さん(45)、祐木子さん(46)夫妻は24年ぶりの帰国から15日でひと月になる。拉致被害者5人は家族の要望を受けた日本政府の方針で北朝鮮に戻らず、蓮池さん夫妻は大学生の長女(20)、長男(17)との日本での再会を待ちわびる日々。14日には国と地元2県3市町の担当者による拉致被害者・家族支援の連絡会議が内閣府で開かれ、永住に向けた支援態勢の検討が始まった。
蓮池さんらは24年ぶりの帰郷、家族、旧友との再会に「本当に帰ってきて良かった」と述べた。旅券を取り、婚姻届、子供の出生届などを提出、免許証の再交付も受けた。5日には安倍晋三・官房副長官と中山恭子・内閣官房参与が激励に訪れ、蓮池夫妻ら5人を北朝鮮に戻さず、子供らの帰国を求めるとした政府方針を伝えた。帰国問題が長期化した場合について問われ、薫さんは「大丈夫です」「頑張る。耐える」と答え、祐木子さんも「頑張ります」と答えた。
この後の会見出席は薫さんが望んだ。先月下旬の会見で永住帰国について「ノーコメント」と答えたことに釈明したいという思いがあったようだ。会見では子供と日本で会いたいと明言し、帰国問題が国と国との交渉ごととなった以上、見守りたいとの立場を示した。子供には「旅行に行く」と言って出てきた。親が日本人で拉致されたことは知らない。「今まで話さなかったことなどをじっくり話してやり、それから永住帰国をはじめとする今後の問題に結論を出したい」と述べ、永住帰国については「見守ってほしい」と苦しい胸中をのぞかせた。
両親らは子供の無事を信じて救出を求めた24年を引き合いに2人を激励している。薫さんらは帰国直後に会った「救う会」の佐藤勝巳会長が驚くほど、明るく伸びやかになった。報道陣を前に来客者と話が弾むこともある。帰国当時は「報道に誤りがある」と薫さんの兄透さん(47)に詰め寄る一幕もあり、「祖国統一」「植民地支配」という言葉も飛び出した。帰国を促す友人との議論で「おれの24年をむだにするのか」「おれを洗脳する気か」と反発。兄は「弟の心の中には日本人と朝鮮公民の2面性がある」とも述べた。
しかし、薫さんは日本の報道を通じ、自分が思い描いていた北朝鮮とのギャップに気づき始めているようだ。透さんは「北朝鮮の核開発報道でショックを受けたのか、政治的な話をしなくなった」と弟の変化に触れた。「心の硬い芯」が徐々にむけ、「もつれた糸がほぐれてきた」とも見えた。超党派の国会議員でつくる議員連盟メンバーに「北朝鮮の印象は変わったか」と問われ、薫さんは「少し変わった」と答えた。
薫さんは今も時折、もの思いに沈む。「やはり子供のことが気がかりなのだろう」。父親秀量さん(75)は気遣う。薫さんは平山知事に、自分たちが戻らないことが子供にどう伝わっているのか、子供たちの情報がほしいと訴えた。市長が提案したパソコン習得に向け、蓮池家は2階の1室を準備した。薫さんは国会議員に「まず自分が日本の状況を理解し、適合できるようになって、子供たちを導きたい」と述べたという。
(2002/11/14)
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