大洲のむかし(4)

桑名藩政の頃
 文政六年(1823年)、白川藩主松平定永は伊勢桑名藩へ移されました。それにより、桑名領は伊勢国の四つの郡と、越後国の刈羽・三島・魚沼・蒲原の四つの郡になったのです。白川藩に属していた柏崎も桑名藩に所属することになりました。
 桑名藩の石高は、全体で約14万2千石余りですが、そのうち越後領の石高は8万3千石余りと、全体の半分以上の石高がありました。ですから、白川藩の時と同じように、桑名藩にとっても越後領は大切なものだったに違いありません。それに、その年貢などを取り立てる中心もまた、白川藩同様に大久保陣屋でした。とり立てた年貢は、船で柏崎から桑名、あるいは大坂(大阪)まで運んでいたようです。
 桑名藩にとって、とても重要であった大久保陣屋も戊辰戦争で姿を消してしまいました。

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