私の日記

 

創刊以来の人気コーナー「私の日記」では、取材現場の「空気」や市民、市勢の「風」を伝え好評です。ダイジェスト版(平成27年後半)を紹介します。

7月1日(水)
 ギャラリー三余堂で開催中の「柏崎高校所蔵・生徒絵画作品展」展を、相澤陽一代表の案内で見る。
 長い歴史の中で、様々な人材を輩出してきた伝統校の「お宝」だけに見応えがある。発掘者の相澤元教育長の「眼力」も大きいようだ。なかでも、宮芳平の作品は明るく、気品を感じる逸品。 宮芳平は、昨年、全国5会場で大規模な回顧展が開催され、評価が一気に上がった感があり、作品を「母校」が所有している意味は大きい。相澤元教育長によれば「かつては小中学校が所有する美術品のリスト化を行ったが、高校は手つかず。担当者が価値を知らず、体育館の倉庫に置かれていたなんてことにならないようにしなくてはなりませんね。見る人が見て、きちんとリスト化をしておく必要があると思います」とのこと。まさにその通りだろう。
 現役の美術部生徒の作品をあわせて展示するというアイデアもお見事、次回展にも期待したい。
7月15日(水)
 キャリア教育講演会がアルフォーレ大ホールで開催される。
 若者の地元定着を、シンポ形式で考えようと職安管内雇用促進協議会が主催したシンポ。4人の、異色の経歴を持つ若い世代が壇上に並び、なかでも 女性2人の発言が目立つ。「結婚適齢期の女性」の市外流出が柏崎の人口減の大きな課題となっているだけに聞き応えがある。
 「就職は事務系を考えていたが、働くなら『手に職』と思い、研削加工の会社に就職した。電材、担当している機械は、前任も女性だった。女性でもできるんだなあ…と率直な感銘を受けた。固定観念をすてて、(製造業の)職場に飛び込んではどうでしょうか。大人たちが若者の当選を応援するということも大事なこと」(丸慶精機工業勤務の大森由紀菜さん)
 大森さんは、しかも柏崎工業でなく、柏高卒だそうである。「ものづくりマイスターカレッジ」の修了生で、現在は一級技能検定に向けて勉強中という。発言の一つ一つに重みとさわやかさがあった。
7月22日(水)
 新潟産業大学の小林健彦准教授が来社、岩田書店から上梓したばかりの「越後上杉氏と京都雑掌」を恵贈いただく。
 上杉謙信の「強さ」はよく軍事面で語られることが多いが、実は経済面でも、織田信長に匹敵するような重商主義に特徴があり、この二つの力が合わさった結果としての「武神」であった。
 戦国武将は、政治、経済の情報収集や調整のため、当時、帝と将軍がおられた京都に駐在員(武官)を置く必要があった。それが、今回のテーマである「京都雑掌」。上杉氏の場合は神余(かなまり)氏がこれを担い、越後の青苧利権の一部を京都の公家から奪うのにも大きな力があった。
詳細については、連載中の「新・柏崎ものがたり」でも紹介した通りである。
 「産業育成と情報収集に優れた上杉謙信像」についての専門家は少ないようで、結局、小林准教授が第一人者ということのようだ。昨年、NHKのBS歴史館「上杉謙信天下取りの方程式を見つけろ!」に出演したのもこの理由から。
 今回は、出版社側からの要請で戦国史研究叢書シリーズとして、これまでの様々なところに発表した論文をまとめるととともに、一部を書き下ろした。「東京(の大学)で授業がありますので…」と足早に立ち去っていかれた。多忙のようである。
8月3日(月)
 第6回大地の芸術祭が始まった十日町市旧松代町へ。3年に一度開催される現代アートの祭典で、今回は380点の作品が妻有の自然のなかに展示され、多くの人で賑わいを見せている。
 まつだい駅裏側にある「アートのご本尊」的作品、草間弥生さんの「花咲ける妻有」を見てから、柏崎の造形作家・関根哲男さんの作品が展示されている小荒戸集落へ。
 渋海川沿いの赤ふん少年(前回作品)を見ながら、集落への上り道。夏の青空や稲の緑を背景に、200本もの古ズボンが直立し、そこから草が生える-という不思議な風景が広がる。今回も、地元の人たちとコミュニケーションを取りながら、作品群の製作が進んだのだそうだ。
 「ズボンのなかから(雑草が)繁茂していなくてはならない。毎日地元の人が当番を決めて、水やりをしてくれている。そういう行為自体が作品になるからです小荒戸の人たちは、肥料もやってそれは丹念に育ててくれています」。関根さんは、新潟市の「水と土の芸術祭」の佐潟会場で作品を展示、こちらもいずれ見に行きたい。
8月5日(水)
 会田市長の8月定例会見(市役所)を取材。市長は、ヨウ素剤の配布、景観まちづくり事業の一環としての「柏崎まちあるき」、満州柏崎村慰霊式典などについて発表する。
 質疑では、安定ヨウ素剤の配布に質問が集中する。市側もこれを予想してか、いつもは後方の席に座っている危機管理監を山田副市長の隣に配置。
 「配布するヨウ素剤の有効期限は」
 「説明会の時間帯を終日取っているのはどういう理由か」
 「ヨウ素剤を配布された対象地区民が転出する場合は」
 「家族を代表して…という受領は可能か」
 服用は、3歳から12歳は1錠、13歳以上が2錠だそうで、「指示があるまで絶対に服用してはならない」という点を強く周知していくとのことだが「(配布された)その日のうちに全部飲んでしまった」という例も他県ではあるのだそうだ。
8月20日(木)
 綾子舞伝承学習の夏特訓が女谷の綾子舞会館で開催される。新道小、南中の児童、生徒を対象にした伝承学習は、夏休み期間中、2回の特別練習を行っており、飯塚邸での公開型練習に続いて、後半は「綾子舞発祥の地」で行うのが恒例。
 今年の伝承学習参加者は69人と多く、綾子舞会館の稽古場が狭く感じるほどだ。「足元すらおぼつかなかった」子どもたちが、凜とした姿かたちとなり、11月の発表会に向けてがんばっている様子があちこちに見え、実に楽しみ。
 なかでも、高原田保存会の「烏帽子折」の稽古に注目する。「さらに髙いところを目指したいと、生徒側から(「烏帽子折」をやりたいとの)申し出があり、演目を変更した」のだそうで、太郎冠者役の高橋希羽さんをはじめ、キリッとした良い顔が印象的。
 会館周辺の田も黄金色に変わり、確実に収穫の秋が近づいてきている。
8月29日(土)
 満州柏崎村開拓団慰霊式典。朝からの雨はまさに「涙雨」。
白亜の双塔を前に4人が代表あいさつ。やはり、中学生代表のことばが印象に残った。
 塔前での式典に続いて、博物館ホールでの特別講演。団員の体験談は「国家のデタラメさ」「いい加減さ」を象徴するようなリアルな話が続いた。
 午後は、安保関連法案反対集会(駅前公園)を取材。全国100万人行動の一環で、「柏崎での参加人数も全国行動の全体数にカウントされる」とのこと。普段は姿を見ることのない「ママ友」たちの姿もあり、特別の意味を持つ集会となった。
9月5日(土)
 早稲田大学の鎌田総長が来柏、メトロポリタン松島を会場に講演会や同大学と関わりの深い綾子舞の公演も行われる。
 講演などの前に、3人の本県(長岡市、柏崎市、五泉市)出身在学生が「現在の早稲田」についてミニ講演。
 このうち、柏崎出身の岡島秀親さん(柏崎高校卒、教育学部2年)は「本当に多種多様な人がおり、それらをそっくりそのまま受け入れてくれるのが早稲田のすごいところ。多様という点では母校の柏高に似ている」とした上で、「質の高い授業も特徴で、各授業を受ける度に世界の見え方がどんどん変わっていく。日々ごとに成長している姿を(帰省の度に)親に見せることができるのは本望」と述べた。
 この後の総長講演でも「勉強」をめぐる現代学生気質について論評。永遠のライバル・慶應義塾大学との比較をユーモアを交えて説明し大受けだった。
9月13日(日)
 綾子舞の現地公開が鵜川女谷で開催される。
 南中学校で行われた天覧公演メンバーの一人・須田好美さんの久しぶりの出演、小学6年生2人の現地公開デビュー、狂言三条の小鍛冶での「狐」の躍動感など、今回も見所一杯である。
 全国各地からフアンを迎えた。様々な研究者が訪れるのも同様で、学生17人を引率して見学に訪れた青山学院大学文学部比較芸術学科の佐藤かつら准教授は「(後援会が柏崎駅から出している)バスで助かりました。新潟の郷土芸能巡見の一環で訪れました。糸魚川にはおててこ舞がありますが、内容、雰囲気ともすばらしいですね。これから糸魚川に向かいます」とのコメント。
9月25日(金)
 柏崎良寛貞心会の「貞心尼法要」が常盤台の洞雲寺で開催される。法要、墓参後、会員講演が行われ、貞心尼ゆかりの常福寺・牧住職から、厳しさで知られる曹洞宗の修業の様式から見た求道者としての良寛論を聞く。修業は良寛さんの時代も今も朝3時から始まるのだそうで、これまで聞いたことにない視点からの講演に一同興味津々、「良寛さんについての理解がふかまった」との声大。
10月9日(金)
 ソフィアセンターで開催中の第58回市展を見る。
 今回も多くの力作、意欲作が並ぶ。そのなかでも注目が集まっているのは、洋画部門で市展賞を獲得した佐藤伸夫さんの「みずとみどり」である。
よく知られるように佐藤さんは、筋ジストロフィー症と闘う洋画家で、病気の特殊性から、多くの制約とぎりぎりの体力で絵を描き続けている。今回の「みずとみどり」は、2枚の白い和紙にサラサラと色とりどりの横線が書かれている。それだけ、なのだが、「制約」の先にある、さわやかな達観のようにも感じる。
 審査員の自由美術協会会員の長谷部昇さんは「作品世界から学ぶべきものが沢山ある」と絶賛。
10月13日(火)
 柏崎出身の映画監督・杉田愉さんから釜山映画祭招待参加の感想を寄せていただく。
 「朝日を浴びながら海雲台ビーチを優雅に散歩…と言いたかったですが、昼夜を問わず訪問客やパーティーのお誘いが連日絶えず必死のスケジュール調整でした。ホテルの部屋にあるメモ用紙を付箋代わりにペタペタ並べていました」
釜山滞在中に、吉本興業から杉田監督に電話があったそうだ。吉本興業が企画製作を担当している京都国際映画祭での「キユミの桃子 サユルの涼花」上映に関してだそうで、日本初公開、監督も招待を受けたとのこと。
10月21日(水)
 出雲崎町良寛記念館前からラジオカー「90ちゃん」の全国生放送。
 冒頭で、NHKアナウンサーが出雲崎で詠まれた名吟「荒海や佐渡に横たふ天の河」を正確に発音して、さすがはNHK…と思ったのだが、実はリハーサルで間違った読みをして、その場にいた関係者に指摘されたというのである。このアナは、本番で「恥」をかかないで済んだわけである。
 「奥の細道」集中、「荒海や」の句は、芭蕉が到達した最高点との評価も多い。この歌が松島や、平泉でなく、この地だったことも大きく意味があるのだが、最近、由々しき事態となっている。
 というのも、「横たふ」を現代感覚で「横タウ」と読んで、この句の雰囲気を台無しにしてしまっているからである。NHKアナがリハーサルでやってしまったのもこれ。正しくは、文語的に「横トー」と読まなくてはならない。最近では10人中7~8人が「横タウ」と発音しているのではないか。やはり、芭蕉の気持ちに触れるためには、正しく読むことだと思う。
 リハーサルで指摘した「関係者」というのは、天の河俳句大会事務局長の磯部友記雄さん、俳人でもある。「リハーサルでおやっ…と思ったので、その場でアナウンサー氏に耳打ちした。さっそく訂正してもらい事なきを得ました。ホッとしました」(磯部さん)とのこと。
10月24日(土)
 イベント満載の週末、米山コミセンでは創立30周年式典が開催され、詩歌を楽しむ柏崎・刈羽の会の公演がアトラクションとして行われる。
 白眉は、鉢崎(現在の米山町)出身の探検家・松田伝十郎の生涯を描いた「松田伝十郎を讃える詩」。
松田は江戸幕府の役人として未開の地だった北海道を探検、苦労と困難の末、日本とロシアの国境を確定した。聖が鼻には伝十郎の一節「樺太は島なり、大日本国境と見極めたり」を刻んだ大きな碑が建っている。間宮林蔵は伝十郎の配下だが幕府への報告が先だったため、松田の名は残らなかった。なんとも越後人らしい結末。
 「松田伝十郎を讃える詩」はその人生をドラマティックに表現したもので、再評価につながっていけばと思う。
10月30日(金)
 本間教育長への辞令交付が市長室で行われる。
 地方教育行政改革で、教育委員長と教育長を一本化し、新たな責任者(新教育長)を置く、そのはじめての教育長となる。
 これまではどうだったのかというと、「議会の同意によって任命された教育委員のなかで教育委員長を互選、教育委員会を代表する」ことになっていたのだが、実際は「教育長が代表」と映る場面も少なくなく、そのことがわかりにくさにもつながっていた。したがって、「教育委員長と教育長はどっちが偉いの」という素朴なギモンもあったわけである。
 今回から「市長が教育長を直接任命する」という点も大きな変更点だ。新たに市長、教育委員が同じテーブルにつく「総合教育会議」も設置され、市政のなかで教育がこれまでの以上に重要視されていくことにもなる。
 これまで教育長というと、退職校長が就任していたが、本間教育長は、教育総務課長や教育部長を歴任した事務部門の専門家。卓球選手で、国体出場経験もある。手腕に期待である。
11月1日(日)
 萩原朔太郎「海水旅館」詩碑の除幕式がアクアパーク隣接地で行われる。
 天気予報は悪かったのだが、「夢の実現」を祝うかのように青空が見える。巻口会長、牧岡副会長ら関係した皆さんも感無量のようだ。
 末尾に鯨波海岸にて…の表記が残る「海水旅館」は萩原朔太郎の第一詩集「月に吠える」所収。「月に吠える」に文学史的意味を考えると、柏崎生まれの小品がこの詩集に収められた意義は大きいのだが、これまでなかなか詩碑建立が実現せずに来た。
 建立の中心となった詩歌を楽しむ柏崎刈羽の会も全くゼロからのスタートだったが、コミセン、お寺、集会施設などでの朗読会を開催、まるで伝道師のように、ゆかりの詩歌を手作りで朗読しながら、「海水旅館」の意義を伝え続けた。
 詩碑建立の浄財を呼びかけもその延長線上にあった。朗読会は先月の米山コミュニティ30周年で18回に及んだそうだ。これによって文学気運も大きく醸成された。
 朔太郎の孫にあたる萩原朔美・多摩美大教授も東京から駆けつけた。
 揮毫を行った白倉南寉さんは「言葉の力強さ、詩の表情を表現するために苦心した。石碑のサイズに用紙を切り、数十枚書いた」とのこと。新名所として定着していくことを願う。
11月5日(木)
 市民活動センター「まちから」のオープニングセレモニー。
 テープカットに続いて、施設が公開される。マスコミが集中したのは、知事、市長が真っ先に向かった地階の「中越沖地震メモリアル」である。
 市民、関係者の様々な言葉がボードとして展示、紹介され、映像と共にあの日、あの時を再現する。
 「あの暑くて、ホコリっぽいのが忘れられない」
 「地震なんかでつぶされてたまるか。必ず立て直してやる」
 「人の和の大切さを学んだ」
 中越沖地震で倒壊後、長く収蔵庫に収められていた高忠さん像は玄関を入ったロビーに再設置、入場者を出迎える形になった。
11月12日(木)
 かしわざき市民大学後期講座「かしわざきを知る―柏崎の過去、現在、未来」(市民プラザ)を受講。新潟産業大学准教授の江口潜さんから「柏崎の若者の「柏崎住みたい度」について聞く。
 「集計には学生バイトも動員し、学生を帰したあと、確認作業を行っていると、大学から家に戻るのは午前1時か2時とあった。まさに力尽きてねる、という感じ。今年の2月、3月はほとんどこういった状態だった」
 その甲斐あって…というか、柏崎の若者像、家族像がかなり浮き彫りになったようである。これだけの労力を、十分に生かしたいと思う。
11月16日(月)
 北条高広(北条城主)を取り上げた新・柏崎ものがたりに関連して、「前橋の大図軍之丞という人の資料が出て来るのですが、どういう人だったのでしょうか」という質問を担当のN記者から受ける。
 はて、柏崎の出身の人のはずだ。先代とはつきあいがあったようで、何度か紙面に登場して頂いたようだが、社内の生き字引であるO常務に聞いてもよくわからない。
困っていると、群馬県立図書館のホームページに息子さんの大図吉雄さんがまとめた「99歳の記録簿<1902~2001>~大図軍之丞の足跡」が収められていることがわかった。もしかすると、ソフィアセンターにも…と問い合わせせると「あります」との答え。
 2002年刊行で、「99 歳と6か月、入院する数日前まで誰の助けもかりずに一人で入浴を楽しめるほど健康だった父親は、生前、生涯を振り返ったテープを残していた。そのテープと自叙伝の下書きのメモをもとに、大正・昭和・平成と生きぬいた父の人生の記録をまとめた」とのこと。
 この冊子によって、大図さんが生前、前橋市の助役を務めたことがわかった。郷土史関係についても造詣が深かったようだ。
11月21日(土)
 笠島ふれあいセンター10周年を記念したまち歩きが行われる。銀杏が美しい十二神社前に集合、様々な歴史の残る多聞寺を皮切りに数々の石仏を見ながら、当時の北国街道の街並みを歩く。ここは佐渡からの金が江戸に向かった「金の道」であり、芭蕉が通った道でもある。
 旧北陸街道(北国街道)石碑がある地蔵菩薩前が「当時の状態が一番よく残っている」とのこと。現在の2メートルほどが「当時の道幅だったのではないか」とのこと。
 屋号「さかや」の黒崎家では、この日に合わせて「蔵ギャラリー」を公開、参加者の皆さんが和気あいあいとした雰囲気のなかで昔話をしているのが印象的。加州(加賀藩)の戦死者の墓が海岸沿いにあるんです-というのは初耳だ。
11月22日(日)
 市立博物館で開催中の「ふるさとの宝モノ展 西山・高柳の文化財とその周辺」を見る。高柳、西山との合併10年を記念した特別展。日頃見る機会のないお宝が所狭しと陳列される。
 横綱ということでいえば、高柳では貞観園。これに対して、西山は二田物部神社ということになろう。中越沖地震で被災後補修、色つやを取り戻した木造狛犬、社領を安堵することを記した徳川将軍家代々朱印状(10点)も見物。三嶋禰宜も以前話していたが、「大変社地が広大だった」ことを示す「物部神社太古絵図面」も興味深い。
これだけの宝ものを一室で展示するのはもったいない。「前期展、後期展に分け、ギャラリートークなどもあった方が良かったのでは」との声も。
11月29日(日)
 「綾子舞応援団長」の須藤武子・日本民俗研究会代表から電話を頂く。
 須藤代表は、綾子舞を世に出した本田早稲田大学名誉教授の愛弟子。日本全国の民俗芸能と関わりながらも、このなかでも「綾子舞のこと」を一番に気にかけて下さっている。
 実は9月の現地公開目前になって、出張先の岩手県から電話があった。「体調を崩し、ここから動けない。現地公開に行くのは無理」というのである。ようやく体を動かせるようになり、東京に戻ったのが9月25日。その後「民俗芸能で培ってきた様々なノウハウでリハビリ」を続け、ほぼ回復したという。
 そういう事情から、現地公開、アルフォーレ公演をはじめ、最近の綾子舞の「質感」はどうだったかとのお尋ねである。
 「500年という生命力を受け継ぎながら、座元でどのように質感を高める努力をしているのでしょうか。綾子舞は日本にひとつ、世界にはない。来年の国指定40周年に向けて、国の専門家、関係者にぜひ現在の綾子舞を見てほしいと強く発信していくつもりですので、地元の皆さんによろしくお伝え下さい」
12月6日(日)
 東京大空襲の生き残りである市内南条の清水泰子さんが市民大学の特別編で講演。定員を大幅に上回る60人が聴講した。
 清水さんは、命からがら逃げ続けた記憶を語りながら「屍を踏みながら逃げたので、今でも柔らかい布団をまたぐと当時の怖さを思い出す」と述べた。今年は戦後70年ということで、様々な問いかけや動きがあったが、この締めくくりと言うことになろうか。
12月8日(火)
 社員のIさんに子どもが生まれた。
 Iさんは昨冬に柏崎にUターン、これまでの経歴を評価して中途採用となった。
 Iさんはその後結婚、このほど第1子出産となったわけで、「人口流出と少子化」に悩む柏崎にとっては最も歓迎される事例。しかも、細君は柏崎の人である。
 朝礼の席で、それらを強調しながら「祝意」を伝えると共に、誕生したばかりのお子さんの健やかな成長を願った。
 もはや、子を産み育てることは「柏崎の維持のため」という時代になった。
 「赤ちゃんを産んでくれてありがとう」
 「柏崎に戻ってきてくれてありがとう」
 「柏崎の女性を柏崎に引き留めてくれてありがとう」
 為政者も、町内も、企業も、その気持ちをダイレクトに伝えていくことが必要なのではないか。オーバーなくらいのパフォーマンスも必要だ。

詳細については「柏新時報」をお求めください。